公平な選挙制度を!


by sea_of_sound_2008
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 「今国会では断念」が伝えられたとはいえ、今後もやはり警戒を要すべきだろう。

 国会法「改正」案について、民主党は「官僚主導を政治主導に変えるための第一歩」としている。しかし、内閣法制局長官の政府特別補佐人からの排除は、明らかに一般に認知された官僚制の問題、例えば公共事業をめぐる政財官の癒着といった問題とは種類が異なる。

 「官僚主導から政治主導へ」といったスローガンの下に、異なる事例を一緒に取り扱うことはできない。スローガンに惑わされず、事実に即した分析と批判をすることが重要である。


 民主党とのいう「政治主導」とは何か。それはこの場合には「内閣主導」「首相主導」あるいは「与党主導」である。現状において、つまるところは小沢一郎が憲法解釈の最終決定権を握るということである。本ブログでは、既に民主党が「小沢流の解釈改憲」で固まっているのではないかと指摘している。
 内閣が主体となって憲法解釈が行われるということについて、果たして内閣にそのような憲法解釈の権限があるのだろうか。内閣の権能については、第73条その他において、はっきり日本国憲法に定められている。内閣はあくまでも行政権の中枢であるはずだ。そして憲法解釈の最終権限は、司法権の最高機関である最高裁判所にあるはずである。憲法学の素人である私でさえ、内閣に憲法解釈の最終権限を与えるような立法はおかしいのではないかと感じる。


 水島朝穂「なぜ法制局を排除するのか —— 歪んだ『政治主導』」によれば、行政府の憲法解釈は、内閣法制局の憲法解釈を聴取した上で、内閣の責任において行うべきものであるという。つまり、行政府による憲法解釈は、そもそも禁止されていないのだ。これが第一に知るべきことである。

 しかし当然そこには限定もある。行政府が全く自由に憲法解釈を行って良いというわけではない。いかに行政府が憲法を解釈するといえども、国会における論議の積み重ねを軽んじてはならないし、法治主義や憲法尊重擁護義務も守らなければならない。

 水島朝穂は「内閣による自由な憲法解釈は、法治主義や国務大臣の憲法尊重擁護義務の観点から問題であるが、憲法解釈それ自体の性質論からも、単なる政策的必要性から憲法解釈は変更されるべきものではない」として、第134回国会における大出峻郎内閣法制局長官の答弁を引用している。

 「最高法規である憲法の解釈は、政府がこうした考え方を離れて自由に変更することができるという性質のものではないというふうに考えておるところであります」。

 もし内閣法制局の答弁を禁じるのならば、内閣法制局と行政府の憲法解釈を比較することさえできなくなってしまう。内閣による全く自由な憲法解釈が可能になってしまう。となると民主党・小沢一郎の言う「政治主導」とは、「内閣独裁」「首相独裁」とでも言った方が良さそうだ。


 まして民主党と小沢一郎との意図は、はっきりと解釈改憲、つまりは実質的な改憲にある。


 憲法改正の手続きは、周知のように憲法によって厳しく定められている。国会法「改正」という立法によって、解釈改憲(実質的な改憲)のための環境作りをすることは、政治的判断を優先させて、法にかなった正当な手続きを迂回する奇策であり、立法改憲の一種ではないのか。

 「国会法等の『改正』に反対する法学者声明」に「明文改憲が提起しづらい政治状況が生まれたなかで、解釈改憲が現実的な路線として追求されようとしている」というのは、そうした事情を指すものだろう。


 また、内閣法制局長官のせいで政治家同士の国会での議論が停滞しているかのような論理は、おかしい。「声明」にある通り「現状でも政府参考人に頼らずに政治家同士で審議をすることは十分可能」なのであって、ようするに総理なり大臣なりが官僚任せにせず、答弁すればよいだけの話しだ。

 それをしないのは政治家の怠慢の問題に過ぎず、立法の問題ではない。やはり、立法によって「政治主導」を実現しようとすることは詐術である。


 最後に一つだけ触れないわけにはいかないのが、この問題への21世紀臨調の関わりだ。前述「なぜ法制局を排除するのか —— 歪んだ『政治主導』」および赤旗記事「国会法改定議論を開始/小沢氏ら会合 憲法解釈変更狙う」によれば(また読売新聞2009年11月5日付「スキャナー」欄によれば)、「国会改革」の源流は21世紀臨調の「国会審議活性化等に関する緊急提言」にあるという。

 21世紀臨調とはまことに罪深い組織である。



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by sea_of_sound_2008 | 2010-05-29 17:31 | 政治
 「上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場」より転載。この声明には「国会法改正案」の問題が集約的に現れているので、是非一読を。この問題を私の言葉でざっくばらんに言うのならは、小沢一郎が憲法解釈の最終決定権を握る、ということになる。強調は転載者による。

国会法等の「改正」に反対する法学者声明

 民主、社会民主、国民新の与党3党は、5月14日、国会法等の「改正」案を野党側の反対を押し切って国会に提出した。

 民主党は、2009年の総選挙のマニフェストで「鳩山政権の政権構想」の5原則の冒頭の2つに、「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」と「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ」とを掲げ、衆議院の比例定数の80削減を盛り込んだ。また、この夏の参議院選挙のマニフェストには参議院の定数40削減を盛り込む方針を決めた。これらにより選挙制度や議会制について大がかりな改変が構想されている。その後、民主党は11月12日、「国会審議の活性化について」と題する文書を発表した。その概要は以下の通りである。

①政治家同士の議論を阻害している政府参考人制度を廃止する。
内閣法制局長官を「政府特別補佐人」から削除する。
③各委員会において、政治家同士による審議の場とは別に、行政公務員、各界有識者、市民団体、業界団体等から広く意見を聴取する新たな場を設置する。
④質問通告の規則を改善・厳格化する。
⑤政治主導体制を強化するため、大臣政務官を増員する。

 これを受けて、民主、社会民主、国民新の3党は、2009年12月28日、幹事長・国対委員長会談を開き、上記①から⑤の内容を盛り込んだ「国会審議の活性化のための国会法等の一部改正について(骨子案)」(以下、「骨子案」と略)を了承した。

私たちは、将来提起されてくることが予想される議員定数削減も、国民主権と議会制民主主義にとって重大な問題を惹起するものと考えるが、このたび国会に提出された国会法や議院規則などの改定は、必ずしも国会審議の活性化に資するものではなく、むしろ立憲主義の意義を弱め、国民主権の原理に背馳し、憲法が予定する議会制民主主義の形骸化を導くおそれがあるものと考え、この喫緊の問題についての声明を発表し、その危険性を世に訴えることとした。


1.政府参考人制度の廃止について

 国会の審議において、議員同士あるいは議員と大臣・副大臣・政務官との間で議案について十分な議論を尽くすことが重要であるのは、国会が国民主権のもとでの「国権の最高機関」であることから当然のことである。その点では、現行の「政府参考人制度」(衆議院規則45条の3、参議院規則42条の3)は、議長の承認や委員会が必要があると認めるときに答弁できるとしているにすぎないのであって、現状でも政府参考人に頼らずに政治家同士で審議をすることは十分可能である。

 それにもかかわらず、「行政に関する細目的又は技術的事項について審査又は調査を行う場合において、必要があると認めるとき」に「その説明を聴く」としている政府参考人の制度を廃止することは、むしろ国会における審議の質を低下させ、そればかりか、憲法62条が規定する国政調査権を不当に制限するものである。

 上記の「骨子案」では、政治家同士による審議の場とは別に「意見聴取会」を設けるとしているが、そのような場の設定が国会での審議の充実に資する保障はない。「行政に関する細目的又は技術的事項について審査又は調査」は、法律案などの議案の審議のなかで行われることでこそ、現状の問題点の検証や改革の必要性の検討に役立つのであって、制定される法律の質を確保する上でも重要である。そのような審査や調査を「意見聴取会」に切り分けて集めてしまうことは、かえって審議を散漫なものにしてしまいかねない。この「意見聴取会」が大臣等の出席義務なしに開催される場合は、なおさらである。

 また、政府参考人制度の廃止は、官僚による行政運営を、国会とりわけ野党議員の追及からかばい、ひいては政府・与党の政権運営に対する監視や批判の手がかりを国会から奪うことにつながる。その点でも国会の審議機能に低下をもたらす。


2.内閣法制局長官の「政府特別補佐人」からの削除について

「骨子案」は、国会法の69条2項が定める「政府特別補佐人」から内閣法制局長官を削除して、「意見聴取会」で「意見を聴取」する「行政機関の職員」の中に内閣法制局長官を含めるとしている。

 内閣法制局は、「閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること」や「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること」(内閣法制局設置法3条1号・3号)などの事務をつかさどり、内閣法制局長官は、閣議の陪席メンバーである。こうした法律問題の専門的部署として内閣の法律顧問的役割を果たし、政府の憲法・法律解釈の統一性を確保するべき内閣法制局の長官を、「意見聴取会」への出席は可能になるとはいえ、国会での法案審議の場から排除することは、国会審議自体はもとより、政府による憲法運用全般にも大きな歪みをもたらすことが危惧される。

 法案の審議の場では、その合憲性や従来の政府見解との整合性が問題とされる際には、政府の憲法解釈が問われる場面がしばしば現れる。そのような場面で、「政治主導」を理由にして首相や閣僚が、その時々の政治判断で憲法解釈を行い、それによって政府の憲法解釈やその統一見解がなし崩し的に変えられてしまうならば、立憲主義国家の憲法運用のあり方としては、重大な問題を生むことになる。とりわけ、憲法9条に関する政府の憲法解釈が安易に変更されることの影響ははかり知れない。


3.憲法9条の重大な危機

 内閣法制局長官の排除に対する小沢一郎民主党幹事長の意欲は、並々ならぬものがある。同氏は自由党時代の2003年5月には、「憲法や条約の有権解釈の権限を官僚の手から奪い返す」として、「内閣法制局設置法を廃止する法律案」を国会に提出している。また、同氏は、「国連の平和活動は国家の主権である自衛権の行使を超えたもの」であり、自衛隊による国連の平和活動への参加は、「たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」という持論を持っている。こうした独特の憲法解釈は、「(国連憲章上の)集団安全保障に関わる措置のうち憲法9条によって禁じられている武力の行使、または武力の威嚇にあたる行為については、我が国としてこれを行うことが許されない」(1994年6月13日、種田誠衆院議員に対する大出峻郎内閣法制局長官の答弁)とする内閣法制局の憲法解釈と鋭く対立するものである。

 鳩山由起夫首相も、2009年11月2日の国会で、集団的自衛権の行使を禁じているこれまでの政府の憲法解釈を当面踏襲する考えを明らかにしたが、その2日後の11月4日には、憲法解釈について、「内閣法制局長官の考え方を金科玉条にするというのはおかしい。その考え方を、政府が採用するか採用しないかということだ」と述べ、政府に決定権があると強調した。また、平野博文官房長官も同日の記者会見で、「鳩山内閣以前の内閣での解釈は、法制局長官が判断をしてきている。鳩山内閣では政治家が政治主導で、内閣において責任を持って判断する」と述べた。これは、集団的自衛権の行使は違憲とする内閣法制局が長きに渡って維持してきた憲法解釈を、政府の判断で変更することもありうるということである。

 明文改憲路線を掲げた自民党の安倍晋三首相が、2007年の参院選の敗北の結果を受けて退陣を余儀なくされたことを目の当たりにした民主党は、2009年総選挙では、2005年の「憲法提言」に込めた改憲の方針を鮮明にすることなく勝利した。このように明文改憲が提起しづらい政治状況が生まれたなかで、解釈改憲が現実的な路線として追求されようとしている。そうした解釈変更による9条改憲が容易な国会づくりが、内閣法制局長官の「政府特別補佐人」からの除外によって目指されているといえる。

 国民主権の観点からするならば、本来の意味での政治主導とは、国会をすべての議員が国民の代表としてその力能を発揮できるものとする必要がある。そして、内閣は、そのような国会に対して連帯して責任を負い、そうした内閣の責任を実効的あるものにするために行政機関に対する国会による監視と統制を確保することを基軸にして、国会と内閣の関係は構想されるべきものである。与党三党による国会法等を改正する「骨子案」は、そのような国民主権に基づく本来の意味での政治主導の実現には程遠く、「政治主導」を謳い文句にしつつも、政権党なかんずくその執行部による権力の独占、議会軽視、官僚組織の囲い込み、憲法運用の不安定化、政府解釈の安易な変更による憲法の歪曲をもたらしかねないものである。

 私たちは、このような国会法等の改正に強く反対し、法案の撤回を求めるとともに、国会と内閣の運営を、国民主権と議会制民主主義に立脚したものとするよう広く呼びかけるものである。

  2010年5月20日

<賛同者>

愛敬浩二(名古屋大学教授) 足立英郎(大阪電気通信大学教授) 石埼学(龍谷大学教授) 稲正樹(国際基督教大学教授) 井端正幸(沖縄国際大学教授) 植松健一(島根大学准教授) 植村勝慶(國學院大學教授) *浦田一郎(明治大学教授) 浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 大野友也(鹿児島大学准教授) 岡田章宏(神戸大学教授) 奥野恒久(室蘭工業大学准教授) 小栗実(鹿児島大学教員) *小澤隆一(東京慈恵会医科大学教授) 戒能通厚(名古屋大学名誉教授) 加藤一彦(東京経済大学教授) *上脇博之(神戸学院大学教授) 北川善英(横浜国立大学教授) 木下智史(関西大学教授) 清田雄治(愛知教育大学教授) 久保田貢(愛知県立大学准教授) 久保田穣(東京農工大学名誉教授) 倉田原志(立命館大学教授) 小竹聡(拓殖大学教授) *小林武(愛知大学教授) *小松浩(立命館大学教授) 近藤真(岐阜大学教授) 佐々木光明(神戸学院大学教授) 笹沼弘志(静岡大学教授) 清水雅彦(札幌学院大学教授) 新屋達之(大宮法科大学院大学教授) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 芹沢斉(青山学院大学教授) 高橋利安(広島修道大学教授) 竹森正孝(岐阜大学教授) 只野雅人(一橋大学教授) 田中則夫(龍谷大学教授) 田村和之(龍谷大学教授)塚田哲之(神戸学院大学教授) *中島茂樹(立命館大学教授) 長岡徹(関西学院大学教授) 中里見博(福島大学教員) 中村浩爾(大阪経済法科大学名誉教授) 永山茂樹(東海大学教員) 名古道功(金沢大学教授) 成澤孝人(信州大学准教授) 新倉修(青山学院大学教授・弁護士) 丹羽徹(大阪経済法科大学教授) 前野育三(関西学院大学名誉教授) 前原清隆(日本福祉大学教授) 松宮孝明(立命館大学教授) 水島朝穂(早稲田大学教授) 三宅裕一郎(三重短期大学准教授) 三輪隆(埼玉大学教員) 村田尚紀(関西大学教授) 本秀紀(名古屋大学教授) 元山健(龍谷大学教授) *森英樹(龍谷大学教授) 諸根貞夫(龍谷大学教授) 山内敏弘(一橋大学名誉教授) 山口和秀(岡山大学名誉教授) 山崎英壽(日本体育大学講師) 若尾典子(佛教大学教授) *渡辺治(一橋大学名誉教授) 渡邊弘(活水女子大学准教授) *和田進(神戸大学教授)
その他5名   以上71名

(*は呼びかけ人)


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by sea_of_sound_2008 | 2010-05-29 10:51 | 政治
 小選挙区制・二大政党制の支持者はこれまでイギリスの選挙制度をモデルとみなし、教条的にその移植を日本に計ってきた。患者の状態や拒絶反応は無視された。本当に移植手術が必要なのか、それとも他の治療法があるのではないかといったことさえ議論されなかった。しかしそのイギリスで今、下院総選挙の結果として選挙制度の改革が話題となっている。

c0187090_1421980.jpg 6日に行われたイギリス下院の総選挙では、保守党が労働党、イギリス自由民主党を抜いて第一党となったものの、獲得議席が過半数に達しない「ハング・パーラメント」の状態になった。しかしそのことだけでイギリスの選挙制度が動揺していると言うのではない。まず注目すべきなのは、得票率と議席数の乖離だ。

 自由民主党は 23% の得票率で 57 の議席しか獲得できなかったが、労働党は 29% の得票率で実に 258 の議席を獲得し、第一党となった保守党は 36.1% で 306 の議席を獲得している(過半数は 326 議席)。数パーセントの得票率の差が、数百もの議席の差となって現れる制度の不公平は明らかだ。 それこそが小選挙区制というものであり、イギリスが保守党と労働党の二大政党制であることは変わらないと言う人がいるかもしれない。しかしそれは制度の不公平に目をつぶる行為だ。選挙の結果はともあれ、少なくない支持を受けている政党が、議会において影響力を発揮できない状態であるのはやはり問題である。


 ここで小選挙区制が日本にもたらされた経緯を思い出そう。リクルート事件以来起こった金権政治への批判は、選挙制度の改革に利用されていった。金権政治への批判が「政治改革」という言葉に集約され、選挙制度を変えることこそが「政治改革」なのだと意味をねじ曲げて規定された。それにはマスメディアも荷担した。
 なぜそうまでして日本に小選挙区制が導入されたのか。いかに小選挙区制の功徳が説かれるにしろ、究極的には、それは戦後長く政権の座にあった自民党を倒すためならば手段を選ばないという考えに基づいている。そしてそれは広く承認されたものというよりも、特定の知識人や特定のジャーナリストの考え、つまりは特定のエスタブリッシュメントの考えである。

 1991年の『政治家の条件』で森嶋通夫はあけすけにもこう書いた。
 [政官財の癒着に終止符を打つには]中選挙区制をやめて小選挙区制にすることである。そうなれば弱小政党は抹殺されると恐れている人がいるが、確かにそうである。……しかし、このような抹殺は歓迎すべきことである。弱小政党が存亡の危機に晒されないから、野党が小異に固執して連合せず、自民党は強力な競争相手から挑戦を受けることがないのである。

森嶋通夫『政治家の条件―イギリス、EC、日本』 (Amazon)
 推測になるが、こうした考えを支持する人々は、1990年前後に起きた「社会主義の終焉」とされるもの、及び1994年の村山内閣発足に端を発する社会党の凋落を見て、ある種の転向を遂げたのではないだろうか。それは言うなれば、社会党(あるいは社民党)や日本共産党は潰れても良いから、なんとしてでもそれ以外で自民党に対抗できる政党を日本に作ろうとする考えのことである。

 そう考えると、社民党・共産党がまるで存在していないかのように取り扱う21世紀臨調の傲岸不遜な態度や、民主党を社会民主主義政党に見立てようとする山口二郎の奇矯な振る舞い(『政権交代論』)も理解できる。昨年の「政権交代」以前のマスメディアの民主党への肩入れもまた同様である。
 先日のエントリで触れた上杉隆もそうだが、社民党は今となっては政権与党なのだから、それは不公平であるだけでなく、現実から逸脱した独善である。


 そして、その打倒の対象であった自民党も今や弱体化の過程にある。最早日本でも小選挙区制を見直すべき時期が来ている。


 小選挙区制は中選挙区制と比べてクリーンな制度だと言われた。しかしいわゆる「政治と金」の問題が無くなっていないのは、小沢・鳩山の問題を見れば一目瞭然だ。「政治と金」の問題は選挙制度を変えることではなく、法律を整備する(企業団体献金の禁止などといった)ことで対処すべきであるし、対処できるのである。薬を処方すべき病に手術を施すのは良い医者ではない。

 小選挙区制は、2005年の自民党の大勝とその後の信託を受けていない政権に対しても、いくばくかの責任がある。小泉は覚醒剤のようなものだったと言われることがあるが、その違法な薬物の使用を可能にしたのは小選挙区制だ。二大政党制とはいっても、その時々には一大政党があるだけなのだ。


 また、誰もが環境を考慮しなければならないこの時代において、なぜ日本の国会に「緑の党」が議席を保持していないのかという問題がある。みどりの会議代表の中村敦夫は議員としてかなり奮闘していた人物だと私には思われるのだが、同会議は2004年に全ての議席を失い解散してしまった。

 断定的に言うことはできないが、「緑の党」の消失は小選挙区制が一因ではないのか。「緑の党」のような政党はその性格からして、大政党として単独政権を担うことは考えにくい。この「弱小政党」の「抹殺」が「歓迎すべきこと」だとはとても思われない。小選挙区制では多様な価値観に対応できない。


 小選挙区制を見直すとなると、また中選挙区制に戻るのか、それだけはごめんだという人が多い。しかし選択肢は中選挙区制ばかりではない。中選挙区制以外にも、比例代表制、小選挙区比例代表併用制(並立制ではない。比例代表制に近いとされる)等がある。

 先日細川護煕元首相がインタビューに答えたように、選挙制度はそのままにして小選挙区と比例区を同じ定数にする案なども考えられる。私はこの案に余り賛成ではないが、より少ない抵抗で実行できるのが利点だろう。


 なお、森嶋通夫は前掲書で、一度に完全小選挙区制を実施するのは困難であるから、徐々に完全小選挙区制に移行するという計画を述べている。おそらく民主党が掲げている比例区削減案は、このような考えに基づいている。比例区の削減はいずれは完全小選挙区制に移行する布石だと言うことだ。

 しかし小選挙区制を導入した意図が前述の通りである以上、その目論見は正当性を失っている。今となっては大政党が自党に利益を計ろうとすること以外にその目的を見出すのは難しい。民主主義の本義に反する姑息な比例区削減はきっぱりと諦めるべきだ。


 また、そうした選挙制度では連立政権になることが多く、第三党が力を持ちすぎたり、政権が不安定だとする人もいる。

 まず最初の意見について言うのならば、それは今回のイギリスに顕著なように、そもそも小選挙区制が得票率と獲得議席の乖離した不公平な制度だと言うことを忘れた言い分である。現在の制度では、勝者、特に第一党が過剰に力を持ち過ぎているし、敗者は影響力が無さ過ぎるのだ。これは日本のように地域と支持政党が必ずしも対応していない国において著しい結果をもたらす。

 次に連立政権の運営についても、連立政権を組む前に充分議論し、その過程を人々に公開するならば混乱は避けられる。異なるイデオロギーの政党が連立を組む場合に、何を目的にし、何を目的としないかをはっきりさせれば、政党与党の支持者もその他の有権者も納得するだろう。

 その場合、連立政権に何を望むか世論調査をしたり、公開討論会を開催したりして、どのような形で連立を組み、どのような政策を実行するのがふさわしいか議論することなどが考えられる。比例代表制その他の選挙制度に問題点がないとは言わない。しかし、それは克服可能な困難ではないだろうか。

 実はこのことは山口二郎さえ渋々ながら語っている。ほんの僅かの記述ながら前述の『政権交代論』には、比例代表制を採用するとしても、運用面でのルールである「憲政の常道」を確立するならば、その困難を乗り越えることができるだろうと読める箇所があるのだ。


 「政権交代」論者の中には、小選挙区制を改めると再び自民党に力を与えることになるという人もいるかもしれない。元々選挙制度はそのような観点から語られるべきではないのだが、そういう人には1993年の細川内閣の成立が中選挙区制の元で起こったという事実を指摘しておきたい。選挙制度が何であれ、国民から支持されない政党は下野せざるを得ない。

 昨年の民主党の勝利を「憲政史上初の政権交代」と呼びたがる人には受け入れがたいかもしれないが、これは選挙制度より支持率の方がものを言う証拠である。常識的に考えても、有権者が動かないのなら制度を変えてしまえというのはひどい思いつきではないだろうか。まして自民党が没落しつつある今となっては、この論にしがみつく訳にはいかない。


 イギリスをモデルとみなすのならば、その政治に変化が起きようとしている時、日本もまた変化を目指さなければならない。イギリス自由民主党は他党との連立の条件として、比例代表制の検討を持ちかけている。これまで「イギリス病」に罹っていた知識人やマスメディアが、こうしたイギリスにおける議論を無視するならば、それは一貫しない不誠実な態度である。

 既に新聞社の社説には、この先のイギリスの帰趨を見定めた上で小選挙区制に対する態度を決めようとする日和見がありありと見て取れる。しかしこの先のイギリスの動向が不明であっても、既に小選挙区制の不公平さは示されているのだ。

 小選挙区制のあらゆる根拠は崩れた。言い訳はごめんだ。




*なお、現在では「みどりの未来」が「みどりの会議」「緑のテーブル」の後継的存在であるらしいので、公式サイトを掲げておく。みどりの未来公式サイト(http://www.greens.gr.jp/)。
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by sea_of_sound_2008 | 2010-05-09 13:59 | 政治
 「市民社会フォーラム」のブログより以下を転載するとともに賛同を表明する。
「高校無償化」制度の朝鮮学校への適用を求める要請書に賛同を

みなさまへ
以下の要請書を政府に提出します。ぜひ賛同してください。
賛同は、個人でも団体でもかまいません。賛同の方は、3月3日午前7時までに、
koshida@jca.apc.org
あるいは、FAX: 011-596-3683
まで返信ください。
また、お知り合いの方にもお知らせください。
こんな理不尽なことを見過ごすわけにはいきません。



「高校無償化」制度の朝鮮学校( 高級部)への適用を求める要請書
                        2010年3月3日

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様
文部科学大臣 川端達夫様

 鳩山首相が、衆議院で審議されている高校無償化法案に関連して、在日朝鮮人
の通う朝鮮学校を無償化の対象から外す方向で調整していることを明らかにし、
その理由を「朝鮮学校がどういうことを教えているのか指導内容が必ずしも見え
ない」と述べたという記事(北海道新聞、2010年2月26日)を、私たちは読みま
した。
 私たち、教育問題や国際協力、差別問題などに関心をもつ市民は、この発言に
驚いています。私たちは鳩山首相に対して。朝鮮学校も高校無償化の対象に含め
るよう再考することを強く求めます。また川端文科相に対して、朝鮮学校を対象
にしていた方針を変更することなく進めることを要請します。
 朝鮮学校だけを、無償化の対象から外すことに合理的な根拠はありません。朝
鮮学校は、各都道府県が各種学校として認定し、公立・私立大学の半数以上が独
自の判断で受験資格を認めてきた学校です。国立大学で初めて受験資格を認めた
京都大学は、朝鮮学校の授業や教科書を検討し「高校」と差がないことを確認し
ています(朝日新聞、2002年9月13日)。
 この事実をみれば、朝鮮学校が「日本の高校に類する教育課程」をもつ学校を
対象とするという文部省の方針に合致していることは明らかです。また「教育の
機会均等」や「教育の国際化」という文部科学省の方針からしても、朝鮮学校だ
けを排除することはできないはずです。
 朝鮮学校を学校教育基本法第1条の学校として認可しないというこれまでの文
部科学省の方針に対しては、日本政府が批准(または加入)している国際人権諸
条約の委員会から、これを民族差別とする「懸念と勧告」が何度も出されていま
す。とくに社会権規約委員会は「朝鮮学校のようなマイノリティの学校がたとえ
国の教育カリキュラムを遵守している場合でも正式に認可されておらず、したが

て中央政府の補助金を受け取ることも、大学入学試験の受験資格を与えることも
できない事について、懸念する」(2001年8月31日)と強い勧告を出しています。
 もし、高校無償化から朝鮮学校をはずすことになれば、これまでの差別をさら
に広げることにつながります。それは「友愛」を掲げる鳩山政権の本意に反する
ことではないでしょうか。
 私たちは、朝鮮学校を高校無償化から除外しないことを求めます。

 呼びかけ人 林 炳澤、黒田秀之、越田清和、小林久公、高橋 一、高橋芳恵、
七尾寿子、花崎皋平、秀嶋ゆかり、細谷洋子、堀口 晃、三澤恵子、宮内泰介、
山口たか

引用元:http://civilesocietyforum.com/?eid=3584

 中井洽拉致問題担当相の強い意向で、政府が高校無償化法案の対象から朝鮮学校の排除を検討し始めたのは周知の通り。国連人権委でも採り上げられたこの問題に関して、鳩山首相は先月26日には「結論は出ていない」としてそれまでの姿勢を修正しており、未だ態度を決めかねているようだ。

 1月の施政方針演説において首相は何と言っていただろうか。「世界のいのちを守りたい。……世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていこうではありませんか。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければなりません」。

 もし朝鮮学校が朝鮮学校であるという理由で、高校無償化の対象から外されるというのならば、それは日本における恥ずべき差別の一つとしてだけでなく、鳩山首相が自らの理念と言葉とを裏切った瞬間としても記憶されるべきだろう。つまり政治家として失格ということである。
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by sea_of_sound_2008 | 2010-03-02 17:25 | 政治
 鳩山首相を始め民主党の議員も参加していることで知られた超党派の改憲派議員連盟、新憲法制定議員同盟が、25日に総選挙後初の定例会を開催して、休止していた活動を再開した。この議員連盟に対しては、総選挙直後の昨年9月から「鳩山由紀夫民主党代表に新憲法制定議員同盟『顧問』の辞職を要請します」という署名活動が行われ、私も署名した。

 そしておそらく活動再開のニュースに関連して判明したことだと思われるが(少なくとも私はこの件で知った)、鳩山首相は先月に同議員連盟を脱退し顧問から辞職する手続きをとっていたのだという。報道の文面からはややわかりづらいところがあるが、脱退手続きは1月だがこの度の定例会でそれが承認されたということだろうか。

巻き返し狙う改憲派/議員同盟が活動再開/国民投票法施行にらみ

 自民、公明、国民新、みんなの党などの各党改憲派議員らでつくる新憲法制定議員同盟(会長・中曽根康弘元首相)が、活動を再開します。25日に「定例会」として、「新憲法制定に向けてより活発に活動するため」として「読売」「産経」の政治部長から話を聞くとしています。
……
 同議員同盟は、安倍内閣のもとでの自公両党による改憲手続き法の強行(2007年5月)の後、同年夏の参院選挙での自民党惨敗によりとん挫した改憲策動の立て直しを狙い、08年3月に鳩山由紀夫幹事長(当時)ら民主党幹部を新たに参加させました。

 衆参両院で憲法審査会の「早期始動」を求め活動を続けてきましたが、昨年の総選挙後は、現職議員メンバーが194人から105人に激減(事務局)し、活動を事実上休止してきました。……

 議員同盟事務局は、定例会に民主党議員にも参加を呼びかけていますが、同党議員からの「返答はまだない」としています。鳩山由紀夫首相は、すべての議連からの脱退の一環として、1月に同議員同盟からも脱退手続きを済ませています。

引用元:http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-02-15/2010021501_04_1.html

改憲議員同盟が定例会開催、鳩山首相はすでに顧問辞退手続き

改憲議員同盟(中曽根康弘会長)が2月25日、国会内で定例会を開きました。
会議では読売と産経の政治部長が講演しました。4月28日に新憲法推進大会を憲政会館で開くことを決めました。
なお、この間、私たちをはじめ、多くの人びとが要求してきた鳩山由紀夫首相の同議員同盟顧問問題は1月に、鳩山氏から辞退届けが出されています。当然のことですが、運動の勝利でもあります。

引用元:http://www.annie.ne.jp/~kenpou/meeting/meet47.html

 署名活動に賛同し、このブログで紹介した者として、また署名した者の一人として、私は鳩山首相のこの行動を評価する。「首相という立場においては特に重い憲法尊重擁護義務が課せられている」との理由で、在任中の改憲を否定した1月20日の答弁との整合性から言っても、脱退は当然だろう。

 「憲法尊重擁護義務」のある首相という特別な地位にある者が、憲法に反対する主張を持つ団体の顧問を務めることは、憲法に対する明白な違反行為である。鳩山個人は本音では明文改憲派であるとはいえ、「私の内閣として憲法改正を目指す」などという寝言をほざく人物が首相であった時代の悪夢に比べれば、こうした態度は一つの前進だ。

 だが、これらをもって憲法を巡る状況に安心するというわけには行かない。鳩山首相及び民主党の憲法観については幾つかエントリを書いてきたことでもあるし、今詳述することはしないが、内閣法制局長の国会答弁を禁止しようとしていることに見られるように、民主党は党外・党内の事情から、明文改憲より解釈改憲に合わせてその戦略を練っているのではないかというのが私の分析である。

 一つだけ言っておくと、既に多くの論者・メディアが指摘しているように、小沢一郎の強い希望であるとされる「国会改革」とは、いずれ解釈改憲を可能にするための布石ではないだろうか。鳩山首相もまた「法制局長官の考え方を金科玉条にするのはおかしい」と発言している。「国会改革」には「政治改革」と称して小選挙区制を金権政治に対する福音であるかのように説いた詐術と同じものを感じる。

 ところで定例会で講演した産経の政治部長とは、ひょっとして都議選で自民党が大敗した際に、「なぜ、かくも短期間で自民党は凋落してしまったのか……首相が靖国神社参拝に踏み切れなかったことを最も大きな理由として挙げたい」という神頼みの敗因分析を披露して、多くの人々を呆然とさせた乾正人その人だろうか?



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by sea_of_sound_2008 | 2010-02-27 20:35 | 政治
鳩山・民主代表:分権目指す改憲に意欲

 民主党の鳩山由紀夫代表は12日放送のラジオ番組で、憲法改正に関し「憲法の平和主義、人権は当たり前だが、だからといって後生大事に憲法を一言一句変えてはいけないという発想はおかしい」と述べ、地方分権の観点から改正は必要との認識を示した。改正時期には言及しなかった。

 鳩山氏は地方分権について「国が地域をコントロールして補助金漬けにする世の中では自立できない」と指摘。05年に発表した改憲試案に触れ「こういうものの道筋をつけることが大事だ」と強調した。鳩山氏の試案は、国と地方の役割分担を明確にするため、基礎自治体として「市」、広域自治体に「圏」を設置する改正などを提言している。【佐藤丈一】

引用元:http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090913ddm002010110000c.html (魚拓)

 その「こういうもの」である鳩山試案には天皇の元首化や九条二項の削除が含まれているのは、ご存じの通り。鳩山代表の言う「平和主義」は、国連の集団安全保障に参加するような「平和主義」である。集団安全保障に参加するとは、世界で戦争をすることである。安倍内閣の改憲路線が頓挫したことから、明文改憲路線は引っ込めるのではないかという観測もあったが、明文改憲路線も捨ててないことがこれでわかった。要注意である。

 民主党は改憲を党是とする党である。一時的に下火になるにしろ、必ず改憲問題は再燃するだろう。それにしても、毎日が報じただけで後追い報道がないのは情けないことである。憲法尊重擁護義務があるのだから、当然真意を質されてしかるべきである。マスメディアは改憲隠しに協力していると言われても仕方がない。



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by sea_of_sound_2008 | 2009-09-15 08:23 | 政治
シバレイのblog」より。以下転載。

高田健@許すな!憲法改悪・市民連絡会です。

鳩山代表に以下の要請を共同で行いたいと思います。皆さんの賛同をお願いします。ぜひ転送・転載、コピーなどで、一人でも多くの皆さんにご協力をお願いしてくださいませんか。賛同は「団体」でも、「個人」でも結構ですが、個人の場合は名前の後に「所属団体」名か、居住「都道府県」名を書いてください。16日が首相就任予定なので、15日を締め切りとしたいと思います。メール( kenpou●annie.ne.jp )か、FAX(03-3221-2558)でご連絡をお願い致します。
*●は@ です。迷惑メール防止のため。 
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鳩山由紀夫民主党代表に新憲法制定議員同盟「顧問」の辞職を要請します。

 第45回総選挙は有権者の自公連立政権への厳しい批判のなかで、民主党の大勝となりました。いま、多くの人びとは鳩山由起夫代表が首相になると言われている新しい連立政権が、民衆の切実な要求と期待に応える政治をすすめていくかどうか、息を呑んで注目しております。

 ところで、鳩山氏はさる2008年3月4日、特異な改憲論を基盤として改憲をめざす「新憲法制定議員同盟」(中曽根康弘会長)の顧問に就任されました。そして今日、なおこの職にあると聞きます。しかし、新しい政権の首相となる鳩山氏が、こうした政治的立場にとどまることは、多くの国民の願いに合致するものとは思われません。首相には憲法第99条の「憲法尊重擁護義務」がよりいっそう厳しく問われるのであり、特定の憲法観をもった改憲団体の役職にあることは極めて不適切なものと言わなければなりません。

 私たちは鳩山氏が英断をもって直ちに同職を辞任することを公式に表明されることを要請致します。

2009年9月

呼びかけ団体
憲法を生かす会/第九条の会ヒロシマ/日本山妙法寺/
日本消費者連盟/VAWW-NETジャパン/平和を実現する
キリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/
許すな!憲法改悪・市民連絡会

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by sea_of_sound_2008 | 2009-09-04 11:20 | 政治
 山口二郎はこう述べている。「鳩山(由紀夫)代表は改憲論者ですが、決して反動的な改憲構想を持っているわけではない」。だが、鳩山試案の天皇条項は、「天皇を元首」と規定している。これは自民党の「新憲法草案」にも、読売の「2004年試案」にもない規定である。そして、言うまでもなく大日本帝国憲法は、天皇を元首と規定していた。これが反動でなければ、最早何ものも反動ではない。

 また鳩山試案では、国民主権を確保する上で大切な「天皇の権能」を制限する第四条が削除されている。その理由について鳩山は「連合国向けの文言であり、今日においてはあまり意味がない」としている。

 この不用意な断定には、憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」が有力な反論となる。敗戦から日本国憲法が成立するまでの数年の間に、幾つもの民間憲法が作成され公表された。高野岩三郎が音頭をとって設立された憲法研究会による「憲法草案要綱」では、「天皇ハ国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス」とされている。これは現在の第四条に近い条文だ。

 鳩山への反論の一つは、帝国憲法下における天皇制の暴走を体験した日本人の中から、自主的にこうした発想を持つ民間憲法が出て来ていたという事実である。しかも、GHQは憲法研究会の「憲法草案要綱」に大きな関心を示し、クリスマス休暇の時期に、ATIS(翻訳通訳部)に命じて翻訳を急がせている。英訳された「憲法草案要綱」を見たマイロ・ラウエル陸軍中佐は「民間の草案要綱を土台として、いくつかの点を修正し、連合国最高司令官が満足するような文書を作成することができるというのが、当時の私の意見でした」と述べている(古関彰一『日本国憲法の誕生』)。

 二つ目の反論は、憲法研究会には自由民権運動と繋がりの深い人物がいたことである。前述の高野岩三郎は自由民権の空気を吸って育った人だった。憲法研究会の要であった鈴木安蔵は治安維持法で大学を追われた後、憲法の研究や自由民権運動の研究を続け、特に私擬憲法を研究していた。鳩山は「私擬憲法のいくつかに目を通せば、往時の人々の情熱と苦悩がひしひしと伝わってくる」と、私擬憲法を高く評価している。ならば戦後の民間憲法、とりわけ自由民権運動の復権とも言える「憲法草案要綱」は尚更高く評価すべきである。

 しかし、こうした反論も鳩山には届かないだろうう。何故ならば、鳩山は「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」において来賓祝辞として次のように述べているからだ。

 天皇陛下御即位二十年奉祝をお祝いする議員連盟ができますが、私もその一員として、積極的に参画することをお誓い申し上げます。特に記念事業の中で来年の十一月十二日を臨時休日にしたいということでございますので、政治家としてその実現のためにがんばりたいと思います。

 改めて申し上げるまでもありませんが、天皇陛下はまさに日本の尊厳そのものだと思っております。災害の時に天皇皇后両陛下がご巡幸されることによって、多くの方々の心が安心できたわけでございます。さらには今、町村官房長官からもお話がありましたが、海外からの賓客のご接遇、或いは外国ご訪問を大変積極的にお努めになっておられます。このことも日本の尊厳を大変高からしめていると確信いたします。

 ただ残念なことに、国賓の接遇、或いは外国訪問は、憲法の中の国事行為には記されておりません。私はでき得るならば憲法改正の議論の中でこのようなことも国事行為として謳われるべきではないかと申し上げたいと思います。

 また、これはまだ民主党のなかで議論を深めたわけではございませんが、数年前に私自身の憲法私案の中で書かせて頂いたように「日本国は国民統合の象徴である天皇を元首とする民主主義国家である」と謳うべきではないかと思っております。自民党と民主党、お互いの損得を超えて、日本の未来のために果たすべき役割として、皆様方とともにこの国の繁栄に尽くして参りたく思います。

引用元:http://housyuku20.blog115.fc2.com/blog-entry-6.html

 つまり鳩山にとって第四条を削除する本当の理由は、天皇を「元首」と規定した上で、その政治的役割を強化することにある。象徴天皇制が維持されるとしても、その内実は変容し、固定化され強化される。繰り返すがこれは復古的であり、反動的である。鳩山が個人的に「まさに日本の尊厳そのもの」として天皇の在位20年を祝うのは自由である。しかし天皇在位20年を臨時の祝日とする法案には問題がある。

 憲法第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。ここで述べられているのは「天皇の地位」とその根拠である。「国民の総意」があって「日本国民統合の象徴」という「天皇の地位」があるのであって、その逆ではない。しかし、「臨時祝日法」は、この関係を逆転してしまう。「天皇の地位」の為に「国民の総意」を要求する。

 日本会議系のブログである「草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN」によれば、「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」には、自民・民主を始めとする議員が超党派で参加し、天皇在位20年を臨時の祝日とする法案を成立させることで一致しているという。

 平成二十年を迎え、いよいよ天皇陛下御即位二十年奉祝運動が始まりました。

 まず、六月3日午後、国会図書館の会議室にて「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」の第一回世話人会が開催されました。

 自民党の島村宜伸、中山成彬、坂本剛二、船田元、臼井日出男、二階俊博、藤井孝男、鴻池祥肇各議員、民主党の鳩山由紀夫、渡辺秀央各議員、公明党の石田祝稔議員、国民新党の自見正三郎議員、そして無所属の平沼赳夫議員らが集まり、人事案と運動方針が協議されました。(参加議員はほかにもいらっしゃいます)

 まず人事案については、世話人会の総意として、森喜朗元総理を会長に推挙することを決定するとともに、世話人会代表には島村宜伸議員が就任しました。

 さらに具体的な奉祝行事の推進については実行委員会を組織し、実行委員長には平沼赳夫議員が、事務局長には衛藤晟一議員がそれぞれ就任することが決定しました。

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 運動方針についても協議され、次の五つが決議されました。

一、平成二十一年の「即位礼正殿の儀の行われた日」(平成二十一年十一月十二日)を臨時休日とする法律を早急に成立させる。
 ……
 設立総会では、日本青年会議所の小田会頭の司会のもと、町村官房長官、伊吹自民党幹事長、鳩山民主党幹事長や、日本商工会議所の山口名誉会頭、日本サッカー協会の川渕会長、女優の浅野温子さんらが祝辞を述べました。(祝辞の詳細は、『日本の息吹』で紹介の予定です)

引用元:http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1507.html

また産経新聞によれば、この議連には小沢一郎も参加しているという。

 先の通常国会で廃案となった114本の法案の一つに「臨時祝日法案」がある。天皇陛下のご即位20年を記念し、国民こぞって祝うために今年11月12日を休日にするという内容だ。法案を推進してきた奉祝国会議員連盟には453人もの衆参両院議員が加盟し、民主党からも代表、鳩山由紀夫は副会長、代表代行の小沢一郎は顧問としてそれぞれ役員に名を連ねた。

 にもかかわらず、法案は葬り去られた。党内の国家観をめぐる路線対立を露見させたくないとの民主党の事情に振り回されたのだ。

引用元:http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090805/stt0908050014000-n1.htm (魚拓)

 自民党と民主党の大連立は、既にこうした議連の形で現実化している。しかし、この法案は憲法に照らして問題のある悪法である。国民に祝意を強制するこの法案は廃止されなければならない。
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by sea_of_sound_2008 | 2009-08-29 19:46 | 政治
 以前のエントリで書いたように、民主党は独自の「国連中心主義」を掲げている(明文改憲も視野に入れているだろうが)。それを示すものとして「横路・小沢合意」、「政権政策の基本方針」、「民主党政策集INDEX2009」を挙げたが、他に鳩山代表の改憲試案がある。鳩山試案では、「日本国は、国際連合その他……が行う平和の維持と創造のための活動に積極的に協力する」とされている。

 この民主党流の「国連中心主義」の源泉になったと思われるのは、やはり小沢一郎の『日本改造計画』である。この著書以来、小沢が一貫して独自の「国連中心主義」を唱えているのは――国連の下で自衛隊を派兵するのならば、違憲ではないという独流の憲法解釈とともに――よく知られている。15年以上前のベストセラーであるが、ここではその小沢式「国連中心主義」の可能性を検討したい。

 『日本改造計画』の「国連中心主義」の論理は次のようなものだ。国連に自衛隊を提供することは、「国権の発動」ではないから、憲法に違反しない。それどころかむしろ「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という憲法の理念にかなう。15年以上前のものであるにもかかわらず、小沢が今もこの論理を全く変えていないこと(例えば「世界」論文のそれ)には驚かされる。

 私は現在の憲法でも、自衛隊を国連待機軍として国連に提供し、海外の現地で活動させることができると考えている。その活動はすべて国連の方針に基づき、国連の指揮で行われるのであり、国権の発動ではないからだ。

 いうまでもなく、日本国憲法の三大法則は国民主権、基本的人権、平和主義である。そして、世界の平和を守り、「われらの安全と生存」を保持するために、世界の各国、諸国民と協力し、その活動を通じて国際社会で「名誉ある地位を占めたい」というのが、憲法前文の掲げる理念である。

 また、憲法第九条は冒頭に「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」すると明記している。これは、国際社会の正義と秩序を維持し、平和を守るために、日本も各国と協力して積極的に役割を果たさなければならないということである。

 では、実際にどのようにして、国際社会の正義と秩序を維持していくのか。それは世界の国々が加盟し、かつ唯一の平和機構である国連を中心とする以外にない。したがって自衛隊を国連待機軍として国連に提供し、その平和活動に参加することは、憲法前文の理念、第九条の解釈上可能であるだけでなく、むしろ、それを実践することになる。

 この活動は、第九条が禁じている国権の発動、つまり日本独自の判断による海外での武力行使とは形式上も実態上も明らかに異なる。二つは厳密に区別して考えなければならない。……

 もう一つの案として、憲法はそのままにして、平和安全保障基本法といった法律をつくることも考えられる。基本法には、すべての主権国家に固有の権利として、日本が個別的自衛権を持ち、そのための最小限度の軍事力として自衛隊を持つこと、また国連の一員として平和維持活動には積極的に協力し、そのために国連待機軍を持つことを明記する。

小沢一郎『日本改造計画』講談社、1993年、122-125頁

 この小沢の憲法解釈が、イラク派兵を決定する時の小泉と同様の、憲法のつまみ食いであることは論を俟たない。寺島実郎が共同通信の「報道と読者」委員会で、「小泉首相に『憲法前文』の引用を入れ知恵したのは誰か」と言っているが、それが誰であれ小沢のこの著書が念頭にあったのではないだろうか。ひょっとして小泉自身が『日本改造計画』を読んだのかもしれない。小沢は憲法剽窃の第一人者である。

 日本国民は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」して、「憲法を確定」したのであって、平和のために戦争するという行為は憲法の理念に反する。「国際社会の正義と秩序を維持し、平和を守るために、日本も各国と協力して積極的に役割を果たさなければならない」というのはその通りだが、憲法は非軍事的な手段でそうすることを――特に政治家に対して――求めているのである。小沢はこのことを全く理解していない。

 法学者の奥平康弘は、『日本改造計画』が発行された翌年の著書で、この小沢式「国連中心主義」に次のように反論している。その要点は、まず、国連に自衛隊を提供すること自体が「国権の発動」に他ならず、憲法九条一項に違反する。次に、国連に「戦力」を差し出すことは、「戦力の不保持」を定めた憲法九条二項に違反する、というものだ。

 第一は、「国権の発動」という第九条第一項の読み方の問題です。日本国が、自衛隊を国連もしくはその他のどこかへ「どうぞお好きなようにお使い下さい」と差し出すとしたら、そうした差し出しは、日本の意思にもとづき、日本国の名、日本国の権威(授権)によっておこなわれる国家行為であるのは疑う余地がありません。すなわち、自衛隊を他組織に差し出すという行為それ自体は、どうしても「国権の発動」という性格を帯びざるをえないのです。そして日本国は、戦争・武力行使はしないと宣言しているのですから、戦争や武力行使が当然予想されるような自衛隊差し出し行為は、憲法上禁止される「国権の発動」であるというべきなのです。……

 さて、小沢流合憲論の第二の欠陥に移りましょう。かりに百歩ゆずって、国連軍に編入された自衛隊部隊の戦闘行為は「国権の発動」でないから憲法第九条第一項との関係では合憲だとしても、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」とする第九条第二項との関係がのこっています。

 小沢さんたちは、ここで国連に差し出す自衛隊部隊はけっして「戦力」ではなくて、たんなる「実力」だと、例の実のないことばの遊びを仕掛けてくるかもしれません。……しかるに小沢さんが差し出そうと規定する自衛隊部隊は、国連待機軍なり緊急展開部隊なりが効果的におこなおうとする純粋軍事的な性格の活動に参加するものなのであって、れっきとした軍隊、まぎれもない「戦力」そのものです。……

 小沢さんが国連に差し出そうとする自衛隊は、それが国連のための「戦力」になるから差し出す意味があるわけですが、その「戦力」たるやどこの国の「戦力」かというと、これはまちがいなく日本国が保有するものなのです。しかし、憲法第九条第二項は、日本国が「戦力」を保持することを禁じています。つまり、そもそも国連へ差し出すべき「戦力」なるものを日本国は持てないのです。ないものは、本当は、誰にも差し上げるわけにはゆかないのではないでしょうか。

奥平康弘『いかそう日本国憲法』岩波ジュニア新書、1994年、111-114頁

 ところで、改めて『日本改造計画』を読んで気付かされるのは、実はその「国連中心主義」より、露骨なアメリカ中心主義である。これは奥平も指摘しているのだが、小沢は'90年代初頭の国際情勢をアメリカを軸にしてこう分析している。

 国防費削減という難題を抱えたアメリカは、これまでの「世界の警察官」としての役割を減らし、冷戦後の国際社会の実情を踏まえて「国連重視の平和戦略」ともいうべき歴史的な転換を図るのではないかと私は思う。具体的には、国連に対して軍事活動支援を行うため大規模な司令部を新設し、旅団規模の常設待機軍を国連に提供するといった政策を打ち出す可能性がある。……

 このように日本の周辺国が日本の単独行動を警戒し、最も関係を重視すべきアメリカが世界の平和維持に積極的であることを考慮すれば、日本がとるべき平和貢献の道は自ずから明らかになる。

 アメリカとの共同歩調こそ、日本が世界平和に貢献するための最も合理的かつ効率的な方策なのである。

小沢、前掲、116頁

 冷戦時代の国連は、米ソによる覇権争いの場だった。このため、双方の拒否権によって何ひとつ有効な平和維持政策をとれなかった。東西両陣営の上に浮いた存在だったといえる。ところが、ポスト冷戦の時代に入るや状況が一変した。ソ連が消滅してイデオロギー闘争が終わると、長い冬眠から覚めたかのように、国連の活動がにわかに活発化してきたのである。

 米ソの対立にともなう拒否権の乱発が姿を消したからだ。ソ連継承国家であるロシアはいまだに国内が混乱し、中国は共産主義体制を維持しているものの、基本的には西側諸国との協調路線をとっている。かつてのように西側との間で重大な意見の対立が見られなくなった。その結果、国連は必要な安全保障政策を積極的に決定できる状況になっている。

小沢、前掲、128頁

 こうした記述を見ると、小沢にとってその「国連中心主義」とは、アメリカの小判鮫となって日本の「国益」を追求しようという大国主義の現れであって、決して「恒久の平和」(憲法前文)を求めたものではない。アメリカが国連重視に傾くと予想した一人の保守政治家が、その勝ち馬に乗るついでに、長年の懸案だった海外派兵を実現させれば一挙両得だと考えただけの話である。

 そして、この認識は、国連決議の下アメリカ主導の多国籍軍がイラクを包囲・攻撃した、湾岸危機から湾岸戦争における構図に当てはまるに過ぎない。アメリカが国連を重視するようになり、新世界秩序が生まれるという小沢の推測は、アメリカのイラク侵略で大はずれしたどころか、破綻したと言っていい。

 また、見過ごせないのは、これが「失われた十年」と呼ばれることになる不況の時代が浸透する以前の、経済大国としての自負に裏打ちされていることだ。経済大国になった次には軍事的にものを言える国へ、という意識が当時の支配層にあって、それを巧みに小沢は汲み取ったのだろう。

 となると当然一つの疑問がわく。'90年代初期という特定の条件の下で成立した状況分析に基づく処方箋が、果たして今も有効なのだろうか?

 ノーム・チョムスキーは「機能するようになった国連」についてこう述べている。

 一九九〇年八月にイラクがクウェートを侵略したとき、国連安全保障理事会はイラクを非難し、過酷な経済制裁を行った。なぜ国連の反応はこれほど早く厳しかったのだろうか。米国の政府=メディア同盟は、お決まりの模範解答を与えてくれた。

 まず、政府=メディアは、イラクのクウェート攻撃が特別ひどい犯罪であるから、特別厳しい対応が必要であると我々に教えてくれた。「アメリカはこれまでと同様に、侵略に反対し、法による統治を覆すために武力を用いるものに反対する」とブッシュ大統領――パナマの侵略者であり、(米国のニカラグア攻撃に関して)「不法な武力行使」を行ったと国際司法裁判所で非難された世界唯一の国家元首――は我々に語ってくれた。……

 第二に、彼らはまた、長々とした説明の中で、国連はついに、創立時に意図されたように機能するようになったと宣伝した。彼らの主張によると、冷戦終了前は、ソ連の妨害と第三世界の甲高い反西洋のレトリックとによって、国連は機能不全におちいっていたのである。

 残念なことに、このどちらの主張も、ほんのわずかの検討の前に崩れさってしまう。米国も他の諸国も、湾岸紛争において崇高なる原則などを掲げてはいない。サダム・フセインに対する対応が前例のないほどだったのは、そのクウェート侵略が残虐だったからではなくて、単に足を踏む相手をサダムが間違えたからである。

 サダムは、湾岸戦争前、彼がまだ米国の友人で恵国待遇の貿易相手だったころも、クウェート侵略後とまったく同様に野蛮なギャングであった。クウェート侵略は確かに残虐行為であるが、米国や米国の仲間たちが犯した多くの同様の罪とくらべて特にひどいものではないばかりか、その中の最悪のいくつかには遠く及ばない。たとえば、インドネシアによる東チモール侵略と強制併合においては、米国とその同盟諸国の決定的な支援によって、民族皆殺しに近い規模の犠牲者がでた。……

 当時の米国の国連大使(現ニューヨーク選出上院議員)ダニエル・モイニハンは、東チモールに関して彼が国連で果たした役割を次のように述べている。「米国は、事態が自分の望みどおり[に]なることを望み、それを実現するために働きかけた。米国国務省は、国連が採択するすべての対応が無力であることを望んだ。この仕事には私が指名され、私はこの仕事にかなりの成功をおさめた。」……

 第二の点、すなわち、国連がついに意図されたとおりに機能しているという点については、事実は明らかであるが、がっちりと表現の手段を握っている「政治的正しさ」の監視人によって完全に隠されている。長年にわたって、国連は大国によりその機能を阻まれていたが、阻んだのは主に米国であり、ソ連や第三世界ではない。一九七〇年以降、安全保障理事会での拒否権発動数では、米国が他をはるかに引き離して第一位である(英国が二位、フランスはかなり離れて三位、ついでソ連である)。……

 国連がイラクのクウェート侵略に対応しえたのは、このときに限って米国が国連の対応を妨害しなかったからである。国連のイラクに対する経済封鎖が前例のないほど厳しいものであったのは、米国の圧力と脅迫によるものである。この経済封鎖は、例外的に効果をあげる可能性があった。というのは、それが非常に厳しいものであったと同時に、米国や英国、フランスといった封鎖破りの常連がいつもと違って経済封鎖を実行したからである。

ノーム・チョムスキー『アメリカが本当に望んでいること』現代企画室、1994年、89-93頁

 このチョムスキーのアメリカ批判は、'90年代以降の保守政治家お決まりの台詞である「湾岸戦争で日本は国際社会から非難された」と言う際の「国際社会」が、いかに大国のエゴに満ちたものであるかを、そして「国際社会」とは他ならぬアメリカであることを教えてくれる。チョムスキーの言うインドネシアの東ティモール侵略に荷担した「米国とその同盟諸国」とは、日本もその一つに数えられる。このことを忘れてはならない。

チョム:いささか個人的な話しになりますが、私が東ティモール問題について初めて国連で証言したのは25年前、1978年のことでした。証言は裏で妨害されましたが、妨害しようとしていたのは日本の大使館だということがあとでわかりました。

辺:えっ、そんなことがあったのですか。

チョム:インドネシアの友人たちが行った大量虐殺が告発されるのを防ぎたかったのです。だから日本の行いも、決してほめられたものではない。アメリカだけではないのです。

 とはいえインドネシアの東ティモ-ル政策の主な支援者はイギリスとアメリカだった。最後まで支援しつづけたのです。一度たりともやめなかった。最後には、ありとあらゆる圧制が行われていたことなど気付かなかったふりです。世論の圧力に負けて、クリントン政権は最終的にはインドネシア軍との公的な関係を断たざるをえなくなった。けれども政府は関係の再構築を欲していた。そこでいわゆる対テロ戦争を利用して、血に飢えたインドネシア軍の将軍たちと再び手を結ぼうとしているのです。彼らは主に日本とアメリカによって、虐殺の責任に関して西側の操作の手が及ばないよう、守られています。

引用元:http://www.freeml.com/chance-forum/3803

 小沢式「国連中心主義」とは、アメリカと国連が「協調」した湾岸戦争をモデルに、経済大国となった日本が、国連でアメリカの小判鮫として振る舞うことによって(常任理事国入りを視野に入れつつ)、国益を得ようとする大国志向型・軍事志向型モデルである。その意味で、「国連中心主義」というよりは、アメリカ中心主義の変種である。このモデルが今の国際情勢に通用するのかどうかは不明である。

 それでもなお小沢式「国連中心主義」が押し進められるとして、それはどの様な結果になるだろうか。チョムスキーの論述に明らかなように、国連を動かしているのは、大国、特にアメリカの利害である。小沢式「国連中心主義」は、アメリカの反対を押し切ってイスラエルを非難できるだろうか。アメリカが侵略行為を犯した場合に非難できるだろうか。

 小沢式「国連中心主義」の本義からして、それらはありそうもないことに思われる。しかし、アメリカと決別できなければ、結局「国連中心主義」はアメリカ中心主義に包摂され、「国連中心主義」と言う名のアメリカ中心主義がまかり通るだろう。いや、その前に小沢式「国連中心主義」は、アメリカから拒否すらされるかもしれない。


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by sea_of_sound_2008 | 2009-08-28 09:45 | 書籍
 まるで民主党が護憲派であるかのような表象が、メディアによってなされている。「マガジン9条」は民主党候補へのアンケートを行った。「+++ PPFV BLOG +++」で知ったのだが、そのアンケートの感想として、トップに一時次のような文章が掲載されていたようだ(Googleキャッシュに残っていたので、ローカルに保存してある。現在はもうキャッシュも見られない)。

 そこで「民主党候補者に憲法9条を問うアンケート」を実施しました。……回答はとても興味深いものです。6項目の選択肢では答えられないという「7・その他」が一番多かったというところに、民主党の現在の姿が集約されているように思われます。でもその理由を読むと、多くが「9条の意義を大切にし、安易な改正は許さない」としていることが分かります。

 民主党政権になっても、九条は守られると言いたげな文章である。同サイトは「コラムリコラム」のコーナーでも、毎日新聞のアンケート結果を引用して、「民主党の候補者たちの回答は、『マガジン9条』のアンケート結果とよく似ている。……『他の部分には問題があるが、9条は変える必要がない』という回答が多かった」と同様の主張を行っている。毎日の当該記事は以下の通りである。

選挙:衆院選 候補者アンケート分析(その1) 憲法改正でも温度差

 民主党も憲法改正に「賛成」が57%で多数派だが、自民、公明両党より低い。「反対」も24%あり、改憲派と護憲派が混在する党内事情が反映された。9条改正については「反対」66%、「賛成」17%で、公明党と同様、9条以外の改憲を支持する意見が強い。集団的自衛権の憲法解釈については「見直す必要はない」61%、「見直すべきだ」25%だった。

引用元:http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/news/20090820ddm010010124000c.html (魚拓)

 さて、民主党は九条を守る「護憲派」なのだろうか?以下それを分析するのだが、ある意味ではそうだと言える。ただし民主党特有の意味において、である。その辺りの事情を、まずは2004年3月の「横路・小沢合意」に見よう。小沢一郎と旧社会党系のリーダーである横路孝弘の政策協議の成果である。長くなるが全文引用する。要点は、九条は変えない、だが国連の下に軍を送る、この二つだ。

                        2004.3.19
日本の安全保障、国際協力の基本原則


 冷戦の時代は終焉したとはいえ、世界各地においては紛争が頻発している。世界の安全保障と国際協力について確固たる基本原則を改めて定め、確認しておくことは時代の要請でもあり、また、喫緊の課題でもある。

 私共は、我が国の安全保障及び国際協力について、この間慎重かつ精力的に検討を続けてきたが、ここに次の通りの基本原則で一致したので公表する。

<現状認識>

1.いまのままでは自衛隊は米国について世界の果てまでも行ってしまう危険性が高い。政府自民党による無原則な自衛隊の派遣に歯止めをかけなければいけない。

2.世界秩序を維持できる機能を有する機関は国連しかない。日本も国連のこの警察的機能に積極的に貢献する。

3.憲法の範囲内で国際貢献するために、専守防衛の自衛隊とは別の国際貢献部隊を作る。

4.現在国連はその機能を充分果たしていない。日本は国連の組織、機能を拡充、強化するようあらゆる機会に国際社会に働きかける。


<基本原則>

1.自衛隊は憲法9条に基づき専守防衛に徹し、国権の発動による武力行使はしないことを日本の永遠の国是とする。一方においては、日本国憲法の理念に基づき国際紛争の予防をはじめ、紛争の解決、平和の回復・創造等国際協力に全力を挙げて取り組んでいく。

2.国際社会の平和と安全の維持は国連を中心に行う。それを実現するために、日本は国連のあらゆる活動に積極的に参加する。

3.国連の平和活動への参加を円滑に実施するために、専守防衛の自衛隊とは別に、国際協力を専らとする常設の組織として「国連待機部隊(仮称)」を創設する。待機部隊の要員は自衛隊・警察・消防・医療機関等から確保する。また、特に必要があるときは自衛隊からの出向を求める。

4.将来、国連が自ら指揮する「国連軍」を創設するときは、我が国は率先してその一部として国連待機部隊を提供し、紛争の解決や平和の回復のため全面的に協力する。

5.国連軍が創設されるまでの間は、国連の安全保障理事会もしくは総会において決議が行われた場合には、国際社会の紛争の解決や平和と安全を維持、回復するために、国連憲章7章のもとで強制措置を伴う国連主導の多国籍軍に待機部隊をもって参加する。ただし、参加の有無、形態、規模等については、国内及び国際の情勢を勘案して我が国が主体的に判断する。

6.安保理常任理事国の拒否権行使等により安保理が機能しない場合は、国連総会において決議を実現するために、日本が率先して国際社会の意思統一に努力する。

以上

  2004年3月19日
                        横路孝弘

*強調は引用者

引用元:http://www.yokomichi.com/monthly_message/2004.03.19.htm

 読んで明らかなように、これは国連に名を借りた解釈改憲であり、海外派兵の恒久化である。であれば「9条の意義を大切にし、安易な改正は許さない」とすることに、なんの意味もないだろう。九条を改正しなくても、解釈改憲によって、国連の下における海外派兵は可能だと言っているのだから。

 それどころかこれは「日本国憲法の理念に基づ」いているのだという。だが、憲法の理念はただの平和主義ではない。非武装平和主義である。それをねじ曲げる「横路・小沢合意」は、つまみ食い的な解釈改憲であり、憲法理念の剽窃者であり、平和主義の簒奪者である。

 左派である横路と実力者である小沢が、党内で意見がバラバラとされる安保・憲法の点で合意したことは、おそらく大きな影響を与えただろう。「民主党の政策議論の到達点を2009年7月17日現在でまとめたもの」である「民主党政策集INDEX2009」に、この民主党流の憲法解釈が反映しているのを見ることが出来る。

自衛権の行使は専守防衛に限定
 日本国憲法の理念に基づき、日本および世界の平和を確保するために積極的な役割を果たします。自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、憲法第9条にのっとって行使することとし、それ以外では武力を行使しません。

国連平和活動への積極参加
 国連は二度にわたる大戦の反省に基づき創設された人類の大いなる財産であり、これを中心に世界の平和を築いていかなければなりません。

 国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条および42条によるものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加します

*強調は引用者

引用元:http://www.dpj.or.jp/policy/manifesto/seisaku2009/08.html

 国連憲章の第四十一条と第四十二条は、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」を定めた第七章にある条文である。第四十二条は「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる」としているのだから、明白に「武力による威嚇又は武力の行使」を禁止した憲法九条一項に違反する。これでもまだ民主党は九条を守る護憲派だろうか。

 更に指摘しておかなければならないのは、国連憲章は平和的手段による解決を大前提としていることだ。加盟国の行動原則を定めた第二条三項では、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によつて……解決しなければならない」とし、第六章では「紛争の平和的解決」を定めている。それらの例外としてあるのが第七章なのだ。民主党は、憲法だけでなく、国連憲章もつまみ食いをしている。

 また、民主党が想定している国連憲章の第四十二条と第四十三条は、国連軍についての規定なのだが、未だに国連軍が編成されたことはない。国連決議の下に軍事的措置が行われるにしても、それは加盟国が自発的に参加する多国籍軍であり、個別的自衛権もしくは集団的自衛権の行使として参加しているのである。民主党が「個別的・集団的といった概念上の議論に拘泥せず」としているのは、自衛権の拡大を目指すものではないか。

 この問題点は、自民党系の論者によっても指摘される有様である。

 しかし問題は「国連軍」の意味であって、小沢調査会の提言と今回の小沢提言とではその内容が異なる。もしそれが国連憲章42、43条に基づく「正規の国連軍」を指すならば、小沢調査会の言うように、軍を国連に提供した後はその指揮、命令権は国連加盟国の手を離れ、安保理事会に委ねられたものとみることもできないことはない。加盟国は国連との間で特別協定を結ぶことにより、主権の一部を国連に委譲したと解することも可能だからである(ただし、わが国がこのような特別協定を結び、武力行使を目的として自衛隊を国連に派遣することについては、憲法上、疑義がある)。

 ≪多国籍軍と集団的自衛権≫

 だが、このような「正規の国連軍」はいまだ実現しておらず、これまでに編成された「国連軍」はすべて「多国籍軍」にとどまっていた。国連の指揮下にあった湾岸戦争時やイラク派遣の「国連軍」、それにNATO指揮下のISAFも全て多国籍軍である。この種の「多国籍軍」は国連決議によって一定の正当性が担保されてはいても、最終的な指揮、命令権は各国に留保されており、軍隊派遣の根拠も各国の個別的ないし集団的自衛権に基づいている。

引用元:http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071030/stt0710300316000-n1.htm (魚拓)

 このように民主党流の「護憲」の内実を探れば、「9条の意義を大切にし」たところで、「憲法改正でも温度差」があったところで、それが九条を守ることに役立つどころか、却って解釈改憲によって海外派兵に利用され、集団的自衛権はおそらく拡大解釈され、九条は骨抜きにされるだけだということがわかるだろう。

 「マガジン9条」も毎日新聞も、候補者にこう聞くべきだったのだ。「あなたは本当に国連の下なら派兵が合憲だと考えているのですか」と。そしてそう言う観点で見れば、「マガジン9条」の候補者アンケートの選択肢が、ほとんど無意味であることに気付かされる。

 ところで、我々は既にこのような憲法のつまみ食いを体験済みである。2003年12月、当時の小泉首相は、自衛隊派兵基本計画を閣議決定した後の記者会見において、イラク派兵を「国際社会の中で名誉ある地位を占めたいという憲法の理念にかなう」ものだと放言した。もちろんこれが噴飯ものの解釈であることは言うまでもない。だがその結果派兵は行われ、それが憲法違反だと確定するには、2008年4月の名古屋高裁の判決を待たねばならなかった。

 しかし、この決着が付いたはずの問題を巡って、民主党は小泉の後を追っている。

 民主党の直嶋正行政調会長は、「政権を担当させていただければ、作業に着手する」「状況によって憲法解釈を変えることはある」と、政権を獲れば憲法解釈を変更すると述べている。小沢は、ISAF参加は合憲と主張して話題となった「世界 2007年11月号」の論文で、「加えて貴方は、『民主党内でも意見がまとまっていない』と書いてますが……昨年末まで二ヶ月余の党内議論の末、先ほど私が述べたような方針(「政権政策の基本方針」第三章)を決定してます」と書いている。

 「政権政策の基本方針」の第三章は、前述の「民主党政策集INDEX2009」とほとんど同じものである。小沢は党内がそれでまとまっていると言っているのだ。従って民主党の「護憲」は二重に疑わしい。まず解釈改憲を容認する公算が大きい。次に党の方針に反対してまで憲法を守るかどうかわからない。イラク派兵という暴挙を断行した小泉政権と、それに続く内閣を倒すためのものだったはずの「政権交代」が、更なる解釈改憲と海外派兵の恒久化をもたらすとしたら、皮肉と言う他ない。



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by sea_of_sound_2008 | 2009-08-27 23:31 | 政治