公平な選挙制度を!


by sea_of_sound_2008
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 次に書くことは「マスコミに載らない海外記事」が訳している「ジョージ・オーウェルの『1984年』を2010年に再訪」という記事を見て考えたことだ。個人的にこれはとても時宜を得た翻訳だった。というのはアメリカが「一党国家」だというのはまさしく最近の私が考えていたことだから。
一党国家: オセアニア同様、アメリカは事実上、一党国家だ。二つの巨大企業政党が、偽って二つの“対抗している”党であるかのごとき振りをしているのだ。実際には、両党は、実際は一つの党の軟派・硬派二派閥に過ぎない。金融支配層が経済的に重要なあらゆる物事と、資源開発を、しっかり支配している。アメリカ版の一党国家は、表面上、明らかにそうでないもののように見えてしまうがゆえに、実際オセアニア版よりも一層危険な程、オーウェル風だ。オセアニアは、民主主義のふりをしようと気を使わないだけ、少なくとも十分に“正直”だ。

引用元:マスコミに載らない海外記事 - ジョージ・オーウェルの『1984年』を2010年に再訪

 例えばアメリカは中国の体制を非難する。確かに中国の体制に問題はあるだろう。しかしアメリカの体制にも大いに問題はあるのだ(そして日本の体制にも)。アメリカと中国のどちらかに問題があるのではない。どちらにも問題がある。

 だがある人々は、片方に中国というとんでもなく遅れた国家があり、もう片方にアメリカ(やあるいは日本)という素晴らしく自由な国があると受け取っている。「左翼」や「社会主義」に対するお決まりの偏見がそれを増長するだろう。非難のための道具と化した「人権」が正当性を与えてくれるだろう。中国を見る目にはアジアに対する古い偏見も幾分かは加わっている。日本の場合近代以来の福沢諭吉的なアジア蔑視がその代用品となっている。

 言葉をもじって言うのなら、アメリカは「一党独裁制国家」ならぬ「二党独裁制国家」だ。何も非難のために概念をもてあそびたいわけではない。その意味するところは、この記事にある通り、二つの政党のどちらに投票しても支配層に大きな影響はないし、彼らを脅かすような政策が実行されることはないということだ。「第三の道」という名前で新自由主義に転向したイギリスもそうだ。

 今日では誰でもファシズム国家は論外だと言うだろう。そしていわゆる「共産主義国家」も問題だと言うだろう(コミュニストですらソビエトを非難するのだから)。だが民主主義国家についてはたいした検証もなく問題なしと見なされる。そして民主主義体制が最終目標であるかのように言われる。民主主義の中身は問われない。

 共産主義が一度も実現したことがないのと同じくらい、民主主義は実現したことがない。現存する民主主義国家は、文字通りの民主主義国家ではなく、「いわゆる民主主義国家」とか「自称民主主義国家」とでも呼ぶべきものだ。それを見て取るのに何のイデオロギーも必要ないし、敢えてそういう言い方をするのならマルクスを読む必要もない。一体アメリカのどこをどう見れば民《たみ》が支配していると言えるのか。

 それは日本も同様だ。鳩山政権の末期に沖縄の人々が憤ったのは、首相が普天間基地の県外移設を公約し、票を集めて当選して政権の座に着いたにもかかわらず、その公約が実行されないということだった。しかもなぜ実行されないのか本当のところは誰にもわからないのだった(右派のメディアや評論家はいろいろ解説して見せたがそんなものは何の正当性もないし、全くの無価値だ)。

 ソビエトは共産主義ではなかった。アメリカも民主主義ではない。「政権交代のある二大政党制」を掲げる人々、政党、マスメディア、学者が目指しているのはそういうアメリカ型の国造りだ。見せかけの政権交代ということだ。一党が支配する代わりに二党でキャッチボールをするということだ。本当に重要な選択肢はあらかじめ排除するということだ。
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by sea_of_sound_2008 | 2010-07-16 14:30 | 政治
 「普天間基地問題についての第二の声明」が賛同者を募っている。締切は6月30日まで。なお名前は公表しないとのこと。

米海兵隊は撤収を --【普天間基地問題についての第二の声明】-- 賛同署名 5月29日現在3463筆

下記声明に賛同される方は最下段に署名をお願いします。
なお、この賛同署名は総数公表とし、個々のお名前は公開しないものと致します。

----------当声明へのご賛同は、第一次締め切りの2010年5月20日で3,355人となりました(開始4月23日)。ご協力ありがとうございました。なお、政府案は沖縄県内、しかも辺野古周辺に回帰するとの報道がなされています。海兵隊の撤退を求める声明の意味は減じていないどころか、さらに切実になっていると考えますので、この賛同署名は継続していくことにします。(第二次締切は参議院選挙前の6月30日とします)----------
■ 署名に寄せられた1500余の熱いメッセージもご覧下さい: http://bag654bag.blog57.fc2.com/ 

******************************************************************************************
 米海兵隊普天間飛行場は、住宅密集地の中にある世界でもっとも危険な基地として、すみやかな閉鎖、撤去が求められてきた。旧自民党政権は、普天間の移設先として、北部名護市の辺野古(キャンプ・シュワブ沿岸部)に代替基地を建設することを米国との間で「合意」したが、それは、沖縄の中に新たな巨大基地を建設することに他ならず、沖縄県民はあらゆる機会にそれに反対する意思を表明してきた。

 2009年秋の政権交代と、民主党の「国外、最低でも県外(移設)」という選挙での訴えが、沖縄県民に希望を与え、状況を大きく変えた。2010年1月の名護市長選挙では、辺野古への移設に反対する稲嶺進候補が勝利した。2月には、これまで移設を容認してきた自民党、公明党を含め、沖縄県議会が全会一致で「普天間基地の県外移設」を求める意見書を採択した。また県内41市町村長全員が県外・国外を主張している。保守が擁立した仲井真弘多県知事も「県内(移設)は厳しい」と語り始めた。沖縄は、いまや“オール沖縄”で「県内移設」反対を明確にしたのである。

 しかし、2010年5月まで「決断」を先送りした鳩山政権は、県外移設の可能性を真剣に追求することなく、キャンプ・シュワブ陸上案や勝連半島沖埋め立て案など、「県内」を軸に決着することを図り、動き始めている。
 私たちはこの政権の動きを深く憂慮し、以下のように声明する。(呼びかけ人のうち18人は、2010年1月に発表した本土の学者・知識人声明の呼びかけ人である。沖縄でもすでに学者・知識人による海兵隊撤収要求の共同声明が出されており、その意味でこれは合同での第二の声明ということになる)

(1) 私たちは、辺野古陸上案(キャンプ・シュワブ内)、勝連半島沖案はもちろん、すべての沖縄県内移設に反対する。これ以上沖縄に過重な負担をかけてはならない。沖縄の意思を無視してはならない。沖縄の環境を破壊してはならない。

(2) 民主党は、衆議院選挙で「国外、最低でも県外」を訴えた。また名護市長選では、辺野古移設反対を主張する稲嶺進候補を推薦し、勝利させた。鳩山政権が、県内移設で決着させるならば、それは明確な公約違反であり、国民・県民への裏切りといわなければならない。鳩山政権は、仮に現在の日米安保体制を前提にするとしても、まず県外移設の可能性を徹底して追求すべきである。

(3) 県外でも県内でも移設を受け入れる地域がなかった場合、現在の普天間飛行場をそのまま継続使用するという案が出ているが、それは許されない。周辺住民の生命と暮らしを脅かしているこの危険な基地は、すみやかに閉鎖されなければならない。

(4) 県外移設を追求した結果、どの地域も受け入れないということならば、日本国民には海兵隊の基地を受け入れる意思がないということを意味する。必然的に米海兵隊は日本から全面的に撤収する以外にない。日本国民には、米海兵隊の存在なしに、東アジア地域の平和と安定を構築する積極的な役割を果たす意思があるということである。米国は、日本国民の意思を尊重しなければならない。

(5) そもそも政権が奔走し、メディアが関心を集中させたのは、「基地用地」探しばかりであった。いま考えるべきことは、本当にそのようなことなのだろうか。むしろ冷戦時代の思考法である「抑止力」とか「敵」とか「同盟」といった発想そのものを疑い、その呪縛から逃れることが必要なのではないか。国際社会に「共通の安全保障」や「人間の安全保障」といった考え方が現れ、冷戦の敵対構造を解体していく大きな力になった。私たちは、米軍基地の代替地をタライ回しのように探すのでなく、米軍基地を沖縄・本土に存在させ、米軍に勝手気ままに使用させている構造こそを問わなければならない。日米安保条約は、冷戦時代の遺物であり、いまこそ、日米地位協定、ガイドライン(日米防衛協力の指針)などを含めて、日米安保体制を根幹から見直していく最大のチャンスである。その作業を開始することを、日本政府、そして日本国民に訴える。

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〈呼びかけ人〉
宇沢弘文(東京大学名誉教授) 遠藤誠治(成蹊大学教授) 岡本厚(岩波書店「世界」編集長) 加茂利男(立命館大学教授) 川瀬光義(京都府立大学教授) 古関彰一(獨協大学教授) 小林正弥(千葉大学教授) 小森陽一(東京大学教授) 千葉眞(国際基督教大学教授) 寺西俊一(一橋大学教授) 西川潤(早稲田大学名誉教授) 西谷修(東京外国語大学教授) 原科幸彦(東京工業大学教授) 前田哲男(評論家) 水島朝穂(早稲田大学教授) 宮本憲一(大阪市立大学・滋賀大学名誉教授) 山口二郎(北海道大学教授) 和田春樹(東京大学名誉教授) 新崎盛暉(沖縄大学名誉教授) 大城立裕(作家) 大田昌秀(元沖縄県知事) 我部政明(琉球大学教授) 桜井国俊(沖縄大学教授) 島袋純(琉球大学教授) 新城郁夫(琉球大学教授) 高里鈴代(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会) 高良鉄美(琉球大学教授) 高良勉(詩人、批評家) 照屋寛之(沖縄国際大学教授) 富川盛武(沖縄国際大学教授) 仲里効(メディア工作者) 仲地博(沖縄大学教授) 比屋根照夫(琉球大学名誉教授) 三木健(ジャーナリスト) 宮里昭也(ジャーナリスト) 宮里政玄(沖縄対外問題研究会代表) 山城紀子(ジャーナリスト) 由井晶子(ジャーナリスト)

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by sea_of_sound_2008 | 2010-06-01 04:13 | 政治
 「The U.S. Air Base on Okinawa」と題された下地良男さんの The New York Times への投書の存在を、最初に報道したのは琉球新報だと思います。この投書の最後の一文「How dare Mr. Obama ask Mr. Hatoyama to act without regard to the wishes of his compatriots? 」を、同紙は記事中で「よくもオバマ氏は、同胞である鳩山氏の意思を無視することができますね」と訳しています。
How dare Mr. Obama ask Mr. Hatoyama to act without regard to the wishes of his compatriots?
よくもオバマ氏は、同胞である鳩山氏の意思を無視することができますね

 私はこれは誤訳ではないかと思うのです。ところでなぜ、私がこの文章をですます調で書いているかというと、この指摘に自信がないからです。このブログの読者には、そうした事情を考慮しながらこのエントリを読んで欲しいのです。それでは原文と比較しながら、この琉球新報の訳の正当性を検討します。


 まず、全体を見て気付くのは、「ask」という動詞が全く訳文に登場していないことです。「ask one to ~」で「誰々に~するよう要求する」といった意味になりますから、この一文は取り敢えず大ざっぱに「オバマ大統領が鳩山首相に何かをするように要求する」と捉えることができます。

 そのオバマ大統領が要求している「何か」とは何でしょうか。「act without regard (無視して行動すること)」でしょう。では、無視されるのは何か。「the wishes of his compatriots」です。この「act without regard to the wishes of his compatriots」という箇所を、部品に分けつつ順番に取り上げていきましょう。


 先に「the wishes」に注目すると、琉球新報はこれを「(鳩山氏の)意志」と訳しています。しかしこの部分は複数形です。複数形なのは「the wishes」が沖縄県民のそれであるから、つまり「沖縄県民の願い」であるからではないでしょうか。鳩山氏のものであるとすれば、複数形であることの説明が付きません。

 しかも「願い(wishes)」には「the」という定冠詞がついているのです。これを「オバマに屈服こそしたが、当初は鳩山首相が持っていた願いのこと」と解釈するのは、無理があるような気がします。この投書は全体的として、沖縄県民の思いを伝えるものですから、直前の「沖縄人の圧倒的多数は(The overwhelming majority of Okinawans )…」という文から考えても、「沖縄県民の願い」と訳す方が自然でしょう。


 次に、最後の単語である「compatriots」に目を移しましょう。この単語の意味は「同国人」です。たぶん語源からしても「仲間」とか「主義主張を同じくする人」程度では使いません。日本が果たして「西側」に属しているのか、自由主義国家なのか、民主主義国家なのか、という疑問もありますが(アメリカは本当に民主主義国家なのかというより強力な疑いもありますが)、とりあえずそれは脇に置いておきましょう。

 ちなみに日本語の「同胞」はまさに「同国人」という意味ですから、「compatriots」の訳語としては適切です。しかし「compatriots」の持つ意味からすれば、「同胞である鳩山氏」というのは明らかにおかしいのではないでしょうか。それに、この単語は「compatriots」と複数形になってますね。つまり、「compatriots」とは沖縄県民のことを指していると考えられます。鳩山首相という個人を複数形では呼ばないでしょう。

 ひょっとして「同胞である鳩山氏」という表現は、「沖縄県民にとっての同胞である鳩山氏」という意味なのかもしれません。しかし、その部分の原文は「his compatriots」なのです。「his」が沖縄県民であることはありえませんから、オバマ大統領か鳩山首相を指すしかないのですが、前段で述べた二つの理由から、これは鳩山首相のことだとわかります。


 したがって「act without regard to the wishes of his compatriots」とは、「彼の同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動すること」になると思います。最初に大まかに訳しておいた前半と合わせるならば、「オバマ大統領が鳩山首相に同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動するように要求する」となります。

 文章を整えつつ全てを訳すならば、「よくもオバマ大統領は、鳩山首相に彼の同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動するように、要求することができますね」です。鳩山首相に有権者の願いを裏切るように求めることは、アメリカの至上の価値である民主主義というイデオロギーに反してるのではないか、と言っているわけです。


 さて、「よくもオバマ氏は、同胞である鳩山氏の意思を無視することができますね」という訳が、誤訳であるという私の指摘が当たっているかどうかわかりません。しかし琉球新報の訳と私の訳で、この部分の文面が違っていることの説明にはなるのではないでしょうか。
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by sea_of_sound_2008 | 2010-05-31 19:52 | 雑記
 ブログ「どこへ行く、日本。」で知った、下地良男琉球大名誉教授による The New York Times への投書「The U.S. Air Base on Okinawa」の翻訳です。もちろん表現の選択などは私によるものですので、これがそっくりそのまま下地教授の言いたいことだと誤解しないでください。誤訳その他はコメント欄にてどうぞ。
沖縄の米空軍基地
編集者へ


 「選挙公約に違反して沖縄の米軍基地で折れた日本(Japan Relents on U.S. Base on Okinawa)」(5月24日の記事)は、普天間のアメリカ海兵隊飛行場を――元々の合意通りに――沖縄の北部に移設するという鳩山由紀夫首相の発表を、「オバマ政権の勝利であり鳩山首相にとっては屈辱的な挫折」として描いています。

 明らかにこのつまらない口喧嘩で、鳩山政権は2006年の日米合意に固執するオバマ政権の全面的な圧力に屈服したのです。鳩山首相はこの前の選挙運動の最中に、普天間の機能を沖縄県外に移設すると言うことによって、沖縄人の期待を高めていました。

 しかしながらオバマ政権は、この勝利はまた自己に対する敗北であることを心に留めておかなくてはなりません。なぜならそれは、「非民主的な」あるいは「啓蒙されていない」国家を相手にする時に、ワシントンが唱道する民主主義の原則に矛盾するものだからです。

 ワシントンが充分に気付いているように、沖縄人の圧倒的多数は沖縄に米軍基地を駐留させ続けるあらゆる計画に反対しています。なんでまたオバマ大統領は、鳩山首相に同国人の願いを無視して行動するように要求するのでしょう?


下地良男
那覇,沖縄,2010/5/24

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by sea_of_sound_2008 | 2010-05-31 11:55 | 政治
 以下は Los Angeles Times に掲載された Chalmers Johnson による「もう一つの沖縄の戦い(Another battle of Okinawa)」の翻訳である。誤訳などあったらコメント欄で指摘していただきたい。
もう一つの沖縄の戦い
反対運動にもかかわらず、アメリカは新しい軍事基地を沖縄に建設する計画に固執している


May 06, 2010
チャルマーズ・ジョンソン

 沖縄の軍事基地に対する議論を巡って、合衆国は日本との同盟関係を恒久的に損なう縁《へり》にいる。この島嶼県は、日本におけるアメリカの軍事施設の四分の三を迎え入れている。ワシントンは生態的に繊細な地域にもう一つ基地を建設したがっている。沖縄の人々はそれに烈しく反対しており、先月には何万人もの人々が基地に抗議するために集まった。東京は板挟みになっており、日本の首相はアメリカの要求に屈したかのように見える。

 第二次世界大戦以来アメリカが獲得した地球を取り巻く海外の軍事基地たち――それは130ヵ国700箇所以上にのぼる――の中でも、我々が沖縄に建設したものほど悲しい歴史を持つものは希である。

 1945年には日本はもちろん敗戦した敵国だったし、それゆえ、どこにどのように基地を配置するかについて発言の機会は与えられなかった。日本本土では、我々は単純に彼らの軍事基地を引き継いだだけだった。しかし、沖縄は日本が1879年に併合するまで独立した王国であり、日本は沖縄をアメリカにとってのプエルトリコのようなものだと見なしたままだった。島は太平洋戦争における最後の大きな戦いで破壊され、アメリカは造作もなく欲しいと思った土地を整地し、住人から取り上げるか、強制的にボリビアに移住させた。

 1950年から1953年にかけて沖縄のアメリカ軍基地は朝鮮戦争を戦うために使われ、1960年代から1973年にかけてはヴェトナム戦争の期間中使われた。基地は補給基地と飛行場として提供されただけでなく、兵士たちが休息し気晴らしし、酒場と売春婦と人種差別のサブカルチャーを生み出すための場所となった。いくつかの基地の周辺では黒人と白人のアメリカ兵の喧嘩が執念深く頻発するため、二つのグループの要求を満たすために、隔離された地帯が生み出された。

 アメリカの日本占領は1952年の講和条約とともに終了したが、沖縄は1972年までアメリカ軍の植民地であり続けた。20年間もの間、基本的に沖縄の人々は国家なき民であり、日本のものであれアメリカのものであれ、パスポートも市民権も取得する資格が与えられなかった。日本が沖縄に対する統治権を取り戻した後も、アメリカ軍は数々の基地で起こることに対して、沖縄の空域に対して、支配を保ち続けた。

 1972年以来日本政府とアメリカ軍は、沖縄の人々が自分たちの未来について意見することをすっかり否定することで共謀しているが、それがゆっくりと変化しつつある。例えば1995年には、二人の海兵隊員と一人の水兵が、12才の少女を拉致し強姦した件で告訴された後、基地に反対する大規模なデモがいくつも開催された。1996年には、アメリカは宜野湾市にすっかり囲まれている普天間基地を返還する用意があることで合意したが、日本が沖縄のどこかに別の基地を代わりに建設することを条件としていた。

 そして名護市を候補とする案が生まれた(2006年の米日の合意までは正式ではなかった)。名護市は沖縄本島の東北部に位置する小さな漁村で、フロリダのマナティーに似た哺乳類、絶滅の危機に晒されているジュゴンの生息地である珊瑚礁があるところだ。そこに大規模なアメリカ海兵隊の基地を建設するには、杭打ち方式か埋め立てによって滑走路を建設しなければならないが、それは珊瑚礁を死滅させてしまう。環境保護家はずっと抗議を続けてきたが、2010年の初めには、名護市は自分の町におけるあらゆるアメリカの基地建設に反対する公約を掲げた市長を当選させた。

 2009年に政権の座に着いた日本の首相、鳩山由紀夫の勝利の一因は、合衆国に対して普天間海兵隊飛行場の撤去と全ての海兵隊の沖縄から撤退を求める公約のおかげである。しかし火曜日に彼は沖縄を訪れ、深くお辞儀するとともに、住人に対して文句を言わないようにぜひにとお願いした。

 私は鳩山の振る舞いは臆病で軽蔑すべきものだと思うが、それよりも日本人をひどくもこのような屈辱的な袋小路に追い込んだアメリカ政府の傲慢さを更に非難するものである。アメリカはそうする余裕もなければ、ますます多くのいわゆる受け入れ国が最早望んでもいない、我らが軍事基地帝国を維持することに強迫観念を抱くようになっている。私は合衆国に対して、その傲慢な態度を改めることを、普天間の海兵隊を合衆国の基地(私がその近くに住んでいるキャンプ・ペンドルトンのような)に帰還させることを、そして沖縄の人々に彼らの65年間にわたる忍耐を感謝することを強く提案したい。

原文:Los Angeles Times - Another battle of Okinawa by Chalmers Johnson

 実は「Internet Zone::WordPressでBlog生活」でこの記事の存在を知ったのだが、一通り訳し終わった後改めて同サイトを見ると GAKU さんが、ご自分の訳を投稿されていた。なんと!

 まあいいや。

 GAKU さんへ。いくつかの訳語を参考にさせてもらいました。この場を借りて感謝申し上げます。
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by sea_of_sound_2008 | 2010-05-12 17:29 | 政治
 未だに「北朝鮮の脅威」が持ち出されるのか。そう思わずにはいられない。憲法を無視してイラクに派兵する際にも、やはり「北朝鮮の脅威」が理由として、当時首相だった小泉純一郎その他の口から語られたのだった。しかもあの時派兵の露払い役を務めた岡本行夫がアメリカ軍の駐留を正当化しているらしい。同じイシュー、同じ顔。政権が変わっても構図は変わらない。
ただ、私ども、将来的に、それこそいつになるかということ、分かりませんが、将来的にはグアム、テニアンへの完全な移設ということもあり得る話かとは思っておりますが、現在の北朝鮮をはじめとする、いわゆる北東アジア情勢、あるいはアジアの情勢を鑑みたときに、やはり日米同盟を維持していく中での抑止力の観点から、沖縄のみなさん、あるいは沖縄の周辺のみなさま方に引き続いてご負担をやはり、お願いをせざるを得ないという状況になってきていることも、これは政府としても考え方として申し上げなければなりません。その意味で、私どもとして県外をさまざま模索をしてまいってきたところでございますが、やはり陸上部隊との共同訓練、あるいは共同行動というものの歩調がどうしても必要だという議論が先方からなされている中で、あまり遠いところに移設地を求めるということができないという事実も、私どもの交渉の中で出てきているところでございます。

引用元:http://www.sankei.jp.msn.com/politics/policy/100504/plc1005042103030-n2.htm
 これは脅しの連鎖だ。アメリカは日本を脅す、政府は人々を脅す、「北朝鮮の脅威」を煽り立てて。その不条理を押し付けられるのは沖縄だ。本当は「北朝鮮の脅威」を言い募る者こそが脅迫者なのだ。しかし、鳩山首相が沖縄に妥協案を持ち込むところはカメラが捉えても、アメリカと日本の間にどんなやりとりがあったのか、首相と外務官僚や防衛官僚の間にどんなやりとりがあったのかは、決してカメラに映らない。


 沖縄国際大学にアメリカ軍のヘリコプターが墜落した時のことを思い出す。確か搬送されるところをテレビで見ていたのだと思う。が、はっきりとは覚えていない。それは沖縄以外に住んでいる人にとっては、普段メディアが沖縄を、そしてアメリカをどのように伝えているのかを示すひとつの典型例だった。

c0187090_1934016.jpg 町並みは日本の他の場所と比べても変わらない。東アジア的なちょっとだけ雑然とした雰囲気だ。マンションらしき建物が見えたと思う。だがその風景の中を頭を短く刈り込んで、引き締まった体つきをしたアメリカ兵たちがぞろぞろと行くのは異様に感じられた。墜落したのは普天間基地海兵隊所属のヘリコプターCH-53D型機だ。 もちろん沖縄に住む人にとっては、その一瞬だけ映し出されたアメリカ兵がいる風景の方が現実なのだ。私はそれを見て、いつもは隠されている真実が偶然の機会によって開示されたような感慨を覚えた。それはメディアが映そうとしない沖縄の姿であり、日本の姿である。果たしてあのような「事件」に拠らずに、メディアはどれほど沖縄の姿を伝えてきたのか、私はそれを知ろうとしてきたのか。有事法制が成立した現在、同様の光景は潜在的に日本のどこであっても出現しうる。

 アメリカがカメラに写っていない時、人は基地に苛まれる沖縄のことを忘れることができる。日本がアメリカの軍事的支配を受けている事実を忘れることができる。だが、既に不公平な真実は我々の前に示されているのだ。それを存在しないかのように振る舞ったり、仕方のないことだと追認するのは、愚かであり、欺瞞であり、倫理に反する行為である。


 それにしても未だに「北朝鮮の脅威」だ。アメリカの当局は、はっきりとこの件の日本における効果を知悉しているらしい。憲法を踏みにじって違法な侵略戦争を手伝わせ、長年にわたる外国の軍隊の駐留を許し(しかもそれに莫大な金を払わせ)、あわよくば憲法を変えさせるのに多くの言葉は不要だ。2002年9月17日以来、北朝鮮と言いさえすれば日本人は何でもする。そのことをアメリカは知っている。

 それはつい最近も高校無償化からの朝鮮学校の排除という形ではっきり示されたばかりだ。

 もし人類の主観というものに一切関心のないある超越的な存在が、東アジアを俯瞰するならば、そこには彼には理解できない理由で徒党を組み、互いに武器を向け合っている奇妙な生き物たちがいるだけだ。彼がもう少し詳しく観察するならば、何故かアメリカと呼ばれる場所からはるばるとやって来てまでそれに加わっている生き物たちの存在を見て不思議がるだろう。

 主観に絡め取られた私たちは、アメリカがこの地域で軍事的存在を誇示していることを忘れている。そしてそれが北朝鮮にとってどういう意味を持つのか考えもしない。北朝鮮と日米韓の軍事力の差は圧倒的だ。かの超越的存在ならきっとこの非対称を滑稽に感じるはずだ。それは結局日本がアメリカにとって世界支配のための道具であることを忘れることになるのだ。

 「北朝鮮の脅威」とアメリカ軍の「抑止力」は全く同じものだ。言葉の違いは方言のようなものである。北朝鮮では前者は「自衛のための抑止力」と呼ばれるだろうし、後者は「我が国への脅威」と呼ばれるだろう。それにしても「抑止力」とは何という言葉だろう。「抑止力」には抑止が効かない。イラク侵略においては、墜落したヘリと同型機を含む部隊が普天間基地から派遣された。

 北朝鮮に対する政策を変え、北朝鮮そのものを変えない限り、「北朝鮮の脅威」は日本を脅迫する材料であり続ける。そうである限り、日本はアメリカの奴隷であり続ける。蓮池透は「やみくもな制裁路線」が事態を膠着させているとし、北朝鮮には「行動対行動」で望むべきだとしている(『拉致』)。

 どのメディアも鳩山首相の迷走ぶりを採り上げている。まさにその通り、首相は迷走している。だが、それを伝えるメディアは、この問題についてどのような態度を表明して来たというのだろうか。彼らは首相を批判するが、アメリカの批判はしない。アメリカの動向が問題であるにもかかわらず、アメリカが不在なのだ。

 今や全国紙や週刊誌は奇術師となった。我々の目の前で繰り広げられるのは大がかりな消失ショーだ。早期に沖縄を説得していれば県内移設で問題なかったとする読売社説。一つの段落を全て「中国の脅威」に費やしている日経社説(いかにも日経らしい)、その他、その他。「普天埋基地移設問題」について語られる論説から、当事者であるはずのアメリカの姿が消え失せている。 東京在住のメディアが自らの奴隷根性や臆病さを棚に上げ、首相の決断力不足や優柔不断さ――要するに人格ということだが――に焦点を当てつつ、問題の根本であるアメリカに向かい合おうとしないのは誤魔化しそのものだ。手品には必ず種があるのだ。しかしある意味では我々も奇術師になるべきなのだろう。沖縄から、日本からアメリカの基地を消すために。


 ところで、このような性質は死んでも治らないと思わされたのは、ワシントン・ポストのコラムニスト Al Kamen が鳩山首相をおちょくって用いた「気の触れた( loopy)」という言葉を振りかざし、倒閣に利用しようとする人々が現れたことだ(「気の触れた」は誤訳ではない。おそらく英語話者は loony を思い浮かべるはずだ)。これもまた何が写っていないのかについての話である。 「米国の核の傘で何十億ドルも節約した」と書ける人物、知識において正真正銘の無知、倫理において堕落しきったクズである人物が、日本が思いやり予算を始めとして毎年「何十億ドル countless billions 」も支払っていることなど知るはずもないし、在日コリアンを含む被爆者の苦しみなど想像するはずもないし、ましてあの首脳会談ならぬ夕食会での「10分会談」が沖縄を落胆させたことことなど知るはずもない。おちょくられたのは首相であるというより日本である。

 アメリカに逆らわないメディアがアメリカに逆らえない首相の姿を映し出す。そこに何が映し出されていないのかは明らかだ。首相は訪沖に先立って「何度でも沖縄へ行く」と語った。しかしそのような悲壮な決意を持つべき対象は沖縄ではなく、アメリカである。構図を変えよう。フレームの外に何があるのか想像することだ。枠から外れてしまったアメリカを視野に捉えようとしない限り、問題の解決はやって来ない。
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by sea_of_sound_2008 | 2010-05-11 18:55 | 政治