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公平な選挙制度を!


by sea_of_sound_2008
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シバレイのblog」より。以下転載。

高田健@許すな!憲法改悪・市民連絡会です。

鳩山代表に以下の要請を共同で行いたいと思います。皆さんの賛同をお願いします。ぜひ転送・転載、コピーなどで、一人でも多くの皆さんにご協力をお願いしてくださいませんか。賛同は「団体」でも、「個人」でも結構ですが、個人の場合は名前の後に「所属団体」名か、居住「都道府県」名を書いてください。16日が首相就任予定なので、15日を締め切りとしたいと思います。メール( kenpou●annie.ne.jp )か、FAX(03-3221-2558)でご連絡をお願い致します。
*●は@ です。迷惑メール防止のため。 
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鳩山由紀夫民主党代表に新憲法制定議員同盟「顧問」の辞職を要請します。

 第45回総選挙は有権者の自公連立政権への厳しい批判のなかで、民主党の大勝となりました。いま、多くの人びとは鳩山由起夫代表が首相になると言われている新しい連立政権が、民衆の切実な要求と期待に応える政治をすすめていくかどうか、息を呑んで注目しております。

 ところで、鳩山氏はさる2008年3月4日、特異な改憲論を基盤として改憲をめざす「新憲法制定議員同盟」(中曽根康弘会長)の顧問に就任されました。そして今日、なおこの職にあると聞きます。しかし、新しい政権の首相となる鳩山氏が、こうした政治的立場にとどまることは、多くの国民の願いに合致するものとは思われません。首相には憲法第99条の「憲法尊重擁護義務」がよりいっそう厳しく問われるのであり、特定の憲法観をもった改憲団体の役職にあることは極めて不適切なものと言わなければなりません。

 私たちは鳩山氏が英断をもって直ちに同職を辞任することを公式に表明されることを要請致します。

2009年9月

呼びかけ団体
憲法を生かす会/第九条の会ヒロシマ/日本山妙法寺/
日本消費者連盟/VAWW-NETジャパン/平和を実現する
キリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/
許すな!憲法改悪・市民連絡会

# by sea_of_sound_2008 | 2009-09-04 11:20 | 政治
選挙制度 多様な意見の受け皿も必要
2009年9月1日

 8月30日に投開票された衆議院議員選挙は、民主党が308議席を獲得し圧勝した。自民党を軸に動いてきた日本の政治が大転換を迎える。

 「政権選択選挙」と位置付けられた今回の総選挙は有権者の関心を集めた。「歴史的転換期」を前に投票率も上がるであろうと思われたが、期待された割には意外に伸びなかった。県内の投票率は64・95%、全国は69・28%だった。

 「選挙に金が掛かり過ぎる」と中選挙区制から小選挙区制に移行した1996年以降では過去最高の投票率となったが、前回選挙に比して県内では2・6ポイント、全国では1・8ポイント上がったにすぎない。

 投票率が上がらなかった要因の一つとして現行の小選挙区制が挙げられる。各党とも候補者の擁立に苦慮している。大政党以外、多数の選挙区に候補者を立てにくい事情がある。

 それだけ、有権者の「選択肢」が奪われる結果になっている。

 選挙後、比較的若い世代の会員が多いインターネットのサイトで、会員を対象にしたアンケート調査が行われた。

 約24万人が回答し、「投票しなかった」有権者は25・3%を占めた。そのうち24・8%が「投票したい候補者・政党がない」と答えている。

 今回の選挙は「政権交代」を旗印にした民主と自民・公明両党との対決を中心に進められてきた。

 従来の自・公の政権運営に「ノー」を突き付けたい有権者は民主に投じるしかなく、各種世論調査で民主有利が示される中で、「勝敗は既についている」「投票しないのは精いっぱいの判断」とする無力感派や苦渋の判断をした有権者もいる。

 大政党間で争われる小選挙区制の選挙は「風」に左右される要素が少なくない。4年前の「郵政選挙」や今選挙が如実に物語っている。けれども「風」に押し流される選挙であってはならない。

 国民の価値観が多様化する中で小政党が担ってきた「少数意見」を、どう国政に届けるか。二大政党制の流れの中で、さまざまな意見の受け皿をどうするのか。

 例えば、現行制度でも選挙区と比例区の定数配分を比例区に厚くするだけで選択肢はより広がる。国民の声を吸い上げる多様な方策についても論議を重ねたい。

引用元:http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-149267-storytopic-11.html

 比例区の定数を増やすという案に賛成。大政党に有利、少数政党に不利、という小選挙区制の弊害は今回の選挙でも証明された。民主党が提案している比例区の削減の先に待っているのは、改憲である。自民と民主しか選択肢がないなんて冗談じゃない。
# by sea_of_sound_2008 | 2009-09-04 08:06 | 政治

*このエントリは衆院選・国民審査関連のリンク集です。随時更新されます。一番上に表示されるので最新エントリを見るには下にスクロールしてください。もしくはRSS対応のブラウザかRSSリーダーをご使用下さい。











2009衆院選・国民審査リンク集_c0187090_19283455.jpg

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# by sea_of_sound_2008 | 2009-08-31 00:00 | 政治
 山口二郎はこう述べている。「鳩山(由紀夫)代表は改憲論者ですが、決して反動的な改憲構想を持っているわけではない」。だが、鳩山試案の天皇条項は、「天皇を元首」と規定している。これは自民党の「新憲法草案」にも、読売の「2004年試案」にもない規定である。そして、言うまでもなく大日本帝国憲法は、天皇を元首と規定していた。これが反動でなければ、最早何ものも反動ではない。

 また鳩山試案では、国民主権を確保する上で大切な「天皇の権能」を制限する第四条が削除されている。その理由について鳩山は「連合国向けの文言であり、今日においてはあまり意味がない」としている。

 この不用意な断定には、憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」が有力な反論となる。敗戦から日本国憲法が成立するまでの数年の間に、幾つもの民間憲法が作成され公表された。高野岩三郎が音頭をとって設立された憲法研究会による「憲法草案要綱」では、「天皇ハ国政ヲ親ラセス国政ノ一切ノ最高責任者ハ内閣トス」とされている。これは現在の第四条に近い条文だ。

 鳩山への反論の一つは、帝国憲法下における天皇制の暴走を体験した日本人の中から、自主的にこうした発想を持つ民間憲法が出て来ていたという事実である。しかも、GHQは憲法研究会の「憲法草案要綱」に大きな関心を示し、クリスマス休暇の時期に、ATIS(翻訳通訳部)に命じて翻訳を急がせている。英訳された「憲法草案要綱」を見たマイロ・ラウエル陸軍中佐は「民間の草案要綱を土台として、いくつかの点を修正し、連合国最高司令官が満足するような文書を作成することができるというのが、当時の私の意見でした」と述べている(古関彰一『日本国憲法の誕生』)。

 二つ目の反論は、憲法研究会には自由民権運動と繋がりの深い人物がいたことである。前述の高野岩三郎は自由民権の空気を吸って育った人だった。憲法研究会の要であった鈴木安蔵は治安維持法で大学を追われた後、憲法の研究や自由民権運動の研究を続け、特に私擬憲法を研究していた。鳩山は「私擬憲法のいくつかに目を通せば、往時の人々の情熱と苦悩がひしひしと伝わってくる」と、私擬憲法を高く評価している。ならば戦後の民間憲法、とりわけ自由民権運動の復権とも言える「憲法草案要綱」は尚更高く評価すべきである。

 しかし、こうした反論も鳩山には届かないだろうう。何故ならば、鳩山は「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」において来賓祝辞として次のように述べているからだ。

 天皇陛下御即位二十年奉祝をお祝いする議員連盟ができますが、私もその一員として、積極的に参画することをお誓い申し上げます。特に記念事業の中で来年の十一月十二日を臨時休日にしたいということでございますので、政治家としてその実現のためにがんばりたいと思います。

 改めて申し上げるまでもありませんが、天皇陛下はまさに日本の尊厳そのものだと思っております。災害の時に天皇皇后両陛下がご巡幸されることによって、多くの方々の心が安心できたわけでございます。さらには今、町村官房長官からもお話がありましたが、海外からの賓客のご接遇、或いは外国ご訪問を大変積極的にお努めになっておられます。このことも日本の尊厳を大変高からしめていると確信いたします。

 ただ残念なことに、国賓の接遇、或いは外国訪問は、憲法の中の国事行為には記されておりません。私はでき得るならば憲法改正の議論の中でこのようなことも国事行為として謳われるべきではないかと申し上げたいと思います。

 また、これはまだ民主党のなかで議論を深めたわけではございませんが、数年前に私自身の憲法私案の中で書かせて頂いたように「日本国は国民統合の象徴である天皇を元首とする民主主義国家である」と謳うべきではないかと思っております。自民党と民主党、お互いの損得を超えて、日本の未来のために果たすべき役割として、皆様方とともにこの国の繁栄に尽くして参りたく思います。

引用元:http://housyuku20.blog115.fc2.com/blog-entry-6.html

 つまり鳩山にとって第四条を削除する本当の理由は、天皇を「元首」と規定した上で、その政治的役割を強化することにある。象徴天皇制が維持されるとしても、その内実は変容し、固定化され強化される。繰り返すがこれは復古的であり、反動的である。鳩山が個人的に「まさに日本の尊厳そのもの」として天皇の在位20年を祝うのは自由である。しかし天皇在位20年を臨時の祝日とする法案には問題がある。

 憲法第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。ここで述べられているのは「天皇の地位」とその根拠である。「国民の総意」があって「日本国民統合の象徴」という「天皇の地位」があるのであって、その逆ではない。しかし、「臨時祝日法」は、この関係を逆転してしまう。「天皇の地位」の為に「国民の総意」を要求する。

 日本会議系のブログである「草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN」によれば、「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」には、自民・民主を始めとする議員が超党派で参加し、天皇在位20年を臨時の祝日とする法案を成立させることで一致しているという。

 平成二十年を迎え、いよいよ天皇陛下御即位二十年奉祝運動が始まりました。

 まず、六月3日午後、国会図書館の会議室にて「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」の第一回世話人会が開催されました。

 自民党の島村宜伸、中山成彬、坂本剛二、船田元、臼井日出男、二階俊博、藤井孝男、鴻池祥肇各議員、民主党の鳩山由紀夫、渡辺秀央各議員、公明党の石田祝稔議員、国民新党の自見正三郎議員、そして無所属の平沼赳夫議員らが集まり、人事案と運動方針が協議されました。(参加議員はほかにもいらっしゃいます)

 まず人事案については、世話人会の総意として、森喜朗元総理を会長に推挙することを決定するとともに、世話人会代表には島村宜伸議員が就任しました。

 さらに具体的な奉祝行事の推進については実行委員会を組織し、実行委員長には平沼赳夫議員が、事務局長には衛藤晟一議員がそれぞれ就任することが決定しました。

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 運動方針についても協議され、次の五つが決議されました。

一、平成二十一年の「即位礼正殿の儀の行われた日」(平成二十一年十一月十二日)を臨時休日とする法律を早急に成立させる。
 ……
 設立総会では、日本青年会議所の小田会頭の司会のもと、町村官房長官、伊吹自民党幹事長、鳩山民主党幹事長や、日本商工会議所の山口名誉会頭、日本サッカー協会の川渕会長、女優の浅野温子さんらが祝辞を述べました。(祝辞の詳細は、『日本の息吹』で紹介の予定です)

引用元:http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1507.html

また産経新聞によれば、この議連には小沢一郎も参加しているという。

 先の通常国会で廃案となった114本の法案の一つに「臨時祝日法案」がある。天皇陛下のご即位20年を記念し、国民こぞって祝うために今年11月12日を休日にするという内容だ。法案を推進してきた奉祝国会議員連盟には453人もの衆参両院議員が加盟し、民主党からも代表、鳩山由紀夫は副会長、代表代行の小沢一郎は顧問としてそれぞれ役員に名を連ねた。

 にもかかわらず、法案は葬り去られた。党内の国家観をめぐる路線対立を露見させたくないとの民主党の事情に振り回されたのだ。

引用元:http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090805/stt0908050014000-n1.htm (魚拓)

 自民党と民主党の大連立は、既にこうした議連の形で現実化している。しかし、この法案は憲法に照らして問題のある悪法である。国民に祝意を強制するこの法案は廃止されなければならない。
# by sea_of_sound_2008 | 2009-08-29 19:46 | 政治
 以前のエントリで書いたように、民主党は独自の「国連中心主義」を掲げている(明文改憲も視野に入れているだろうが)。それを示すものとして「横路・小沢合意」、「政権政策の基本方針」、「民主党政策集INDEX2009」を挙げたが、他に鳩山代表の改憲試案がある。鳩山試案では、「日本国は、国際連合その他……が行う平和の維持と創造のための活動に積極的に協力する」とされている。

 この民主党流の「国連中心主義」の源泉になったと思われるのは、やはり小沢一郎の『日本改造計画』である。この著書以来、小沢が一貫して独自の「国連中心主義」を唱えているのは――国連の下で自衛隊を派兵するのならば、違憲ではないという独流の憲法解釈とともに――よく知られている。15年以上前のベストセラーであるが、ここではその小沢式「国連中心主義」の可能性を検討したい。

 『日本改造計画』の「国連中心主義」の論理は次のようなものだ。国連に自衛隊を提供することは、「国権の発動」ではないから、憲法に違反しない。それどころかむしろ「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という憲法の理念にかなう。15年以上前のものであるにもかかわらず、小沢が今もこの論理を全く変えていないこと(例えば「世界」論文のそれ)には驚かされる。

 私は現在の憲法でも、自衛隊を国連待機軍として国連に提供し、海外の現地で活動させることができると考えている。その活動はすべて国連の方針に基づき、国連の指揮で行われるのであり、国権の発動ではないからだ。

 いうまでもなく、日本国憲法の三大法則は国民主権、基本的人権、平和主義である。そして、世界の平和を守り、「われらの安全と生存」を保持するために、世界の各国、諸国民と協力し、その活動を通じて国際社会で「名誉ある地位を占めたい」というのが、憲法前文の掲げる理念である。

 また、憲法第九条は冒頭に「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」すると明記している。これは、国際社会の正義と秩序を維持し、平和を守るために、日本も各国と協力して積極的に役割を果たさなければならないということである。

 では、実際にどのようにして、国際社会の正義と秩序を維持していくのか。それは世界の国々が加盟し、かつ唯一の平和機構である国連を中心とする以外にない。したがって自衛隊を国連待機軍として国連に提供し、その平和活動に参加することは、憲法前文の理念、第九条の解釈上可能であるだけでなく、むしろ、それを実践することになる。

 この活動は、第九条が禁じている国権の発動、つまり日本独自の判断による海外での武力行使とは形式上も実態上も明らかに異なる。二つは厳密に区別して考えなければならない。……

 もう一つの案として、憲法はそのままにして、平和安全保障基本法といった法律をつくることも考えられる。基本法には、すべての主権国家に固有の権利として、日本が個別的自衛権を持ち、そのための最小限度の軍事力として自衛隊を持つこと、また国連の一員として平和維持活動には積極的に協力し、そのために国連待機軍を持つことを明記する。

小沢一郎『日本改造計画』講談社、1993年、122-125頁

 この小沢の憲法解釈が、イラク派兵を決定する時の小泉と同様の、憲法のつまみ食いであることは論を俟たない。寺島実郎が共同通信の「報道と読者」委員会で、「小泉首相に『憲法前文』の引用を入れ知恵したのは誰か」と言っているが、それが誰であれ小沢のこの著書が念頭にあったのではないだろうか。ひょっとして小泉自身が『日本改造計画』を読んだのかもしれない。小沢は憲法剽窃の第一人者である。

 日本国民は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」して、「憲法を確定」したのであって、平和のために戦争するという行為は憲法の理念に反する。「国際社会の正義と秩序を維持し、平和を守るために、日本も各国と協力して積極的に役割を果たさなければならない」というのはその通りだが、憲法は非軍事的な手段でそうすることを――特に政治家に対して――求めているのである。小沢はこのことを全く理解していない。

 法学者の奥平康弘は、『日本改造計画』が発行された翌年の著書で、この小沢式「国連中心主義」に次のように反論している。その要点は、まず、国連に自衛隊を提供すること自体が「国権の発動」に他ならず、憲法九条一項に違反する。次に、国連に「戦力」を差し出すことは、「戦力の不保持」を定めた憲法九条二項に違反する、というものだ。

 第一は、「国権の発動」という第九条第一項の読み方の問題です。日本国が、自衛隊を国連もしくはその他のどこかへ「どうぞお好きなようにお使い下さい」と差し出すとしたら、そうした差し出しは、日本の意思にもとづき、日本国の名、日本国の権威(授権)によっておこなわれる国家行為であるのは疑う余地がありません。すなわち、自衛隊を他組織に差し出すという行為それ自体は、どうしても「国権の発動」という性格を帯びざるをえないのです。そして日本国は、戦争・武力行使はしないと宣言しているのですから、戦争や武力行使が当然予想されるような自衛隊差し出し行為は、憲法上禁止される「国権の発動」であるというべきなのです。……

 さて、小沢流合憲論の第二の欠陥に移りましょう。かりに百歩ゆずって、国連軍に編入された自衛隊部隊の戦闘行為は「国権の発動」でないから憲法第九条第一項との関係では合憲だとしても、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」とする第九条第二項との関係がのこっています。

 小沢さんたちは、ここで国連に差し出す自衛隊部隊はけっして「戦力」ではなくて、たんなる「実力」だと、例の実のないことばの遊びを仕掛けてくるかもしれません。……しかるに小沢さんが差し出そうと規定する自衛隊部隊は、国連待機軍なり緊急展開部隊なりが効果的におこなおうとする純粋軍事的な性格の活動に参加するものなのであって、れっきとした軍隊、まぎれもない「戦力」そのものです。……

 小沢さんが国連に差し出そうとする自衛隊は、それが国連のための「戦力」になるから差し出す意味があるわけですが、その「戦力」たるやどこの国の「戦力」かというと、これはまちがいなく日本国が保有するものなのです。しかし、憲法第九条第二項は、日本国が「戦力」を保持することを禁じています。つまり、そもそも国連へ差し出すべき「戦力」なるものを日本国は持てないのです。ないものは、本当は、誰にも差し上げるわけにはゆかないのではないでしょうか。

奥平康弘『いかそう日本国憲法』岩波ジュニア新書、1994年、111-114頁

 ところで、改めて『日本改造計画』を読んで気付かされるのは、実はその「国連中心主義」より、露骨なアメリカ中心主義である。これは奥平も指摘しているのだが、小沢は'90年代初頭の国際情勢をアメリカを軸にしてこう分析している。

 国防費削減という難題を抱えたアメリカは、これまでの「世界の警察官」としての役割を減らし、冷戦後の国際社会の実情を踏まえて「国連重視の平和戦略」ともいうべき歴史的な転換を図るのではないかと私は思う。具体的には、国連に対して軍事活動支援を行うため大規模な司令部を新設し、旅団規模の常設待機軍を国連に提供するといった政策を打ち出す可能性がある。……

 このように日本の周辺国が日本の単独行動を警戒し、最も関係を重視すべきアメリカが世界の平和維持に積極的であることを考慮すれば、日本がとるべき平和貢献の道は自ずから明らかになる。

 アメリカとの共同歩調こそ、日本が世界平和に貢献するための最も合理的かつ効率的な方策なのである。

小沢、前掲、116頁

 冷戦時代の国連は、米ソによる覇権争いの場だった。このため、双方の拒否権によって何ひとつ有効な平和維持政策をとれなかった。東西両陣営の上に浮いた存在だったといえる。ところが、ポスト冷戦の時代に入るや状況が一変した。ソ連が消滅してイデオロギー闘争が終わると、長い冬眠から覚めたかのように、国連の活動がにわかに活発化してきたのである。

 米ソの対立にともなう拒否権の乱発が姿を消したからだ。ソ連継承国家であるロシアはいまだに国内が混乱し、中国は共産主義体制を維持しているものの、基本的には西側諸国との協調路線をとっている。かつてのように西側との間で重大な意見の対立が見られなくなった。その結果、国連は必要な安全保障政策を積極的に決定できる状況になっている。

小沢、前掲、128頁

 こうした記述を見ると、小沢にとってその「国連中心主義」とは、アメリカの小判鮫となって日本の「国益」を追求しようという大国主義の現れであって、決して「恒久の平和」(憲法前文)を求めたものではない。アメリカが国連重視に傾くと予想した一人の保守政治家が、その勝ち馬に乗るついでに、長年の懸案だった海外派兵を実現させれば一挙両得だと考えただけの話である。

 そして、この認識は、国連決議の下アメリカ主導の多国籍軍がイラクを包囲・攻撃した、湾岸危機から湾岸戦争における構図に当てはまるに過ぎない。アメリカが国連を重視するようになり、新世界秩序が生まれるという小沢の推測は、アメリカのイラク侵略で大はずれしたどころか、破綻したと言っていい。

 また、見過ごせないのは、これが「失われた十年」と呼ばれることになる不況の時代が浸透する以前の、経済大国としての自負に裏打ちされていることだ。経済大国になった次には軍事的にものを言える国へ、という意識が当時の支配層にあって、それを巧みに小沢は汲み取ったのだろう。

 となると当然一つの疑問がわく。'90年代初期という特定の条件の下で成立した状況分析に基づく処方箋が、果たして今も有効なのだろうか?

 ノーム・チョムスキーは「機能するようになった国連」についてこう述べている。

 一九九〇年八月にイラクがクウェートを侵略したとき、国連安全保障理事会はイラクを非難し、過酷な経済制裁を行った。なぜ国連の反応はこれほど早く厳しかったのだろうか。米国の政府=メディア同盟は、お決まりの模範解答を与えてくれた。

 まず、政府=メディアは、イラクのクウェート攻撃が特別ひどい犯罪であるから、特別厳しい対応が必要であると我々に教えてくれた。「アメリカはこれまでと同様に、侵略に反対し、法による統治を覆すために武力を用いるものに反対する」とブッシュ大統領――パナマの侵略者であり、(米国のニカラグア攻撃に関して)「不法な武力行使」を行ったと国際司法裁判所で非難された世界唯一の国家元首――は我々に語ってくれた。……

 第二に、彼らはまた、長々とした説明の中で、国連はついに、創立時に意図されたように機能するようになったと宣伝した。彼らの主張によると、冷戦終了前は、ソ連の妨害と第三世界の甲高い反西洋のレトリックとによって、国連は機能不全におちいっていたのである。

 残念なことに、このどちらの主張も、ほんのわずかの検討の前に崩れさってしまう。米国も他の諸国も、湾岸紛争において崇高なる原則などを掲げてはいない。サダム・フセインに対する対応が前例のないほどだったのは、そのクウェート侵略が残虐だったからではなくて、単に足を踏む相手をサダムが間違えたからである。

 サダムは、湾岸戦争前、彼がまだ米国の友人で恵国待遇の貿易相手だったころも、クウェート侵略後とまったく同様に野蛮なギャングであった。クウェート侵略は確かに残虐行為であるが、米国や米国の仲間たちが犯した多くの同様の罪とくらべて特にひどいものではないばかりか、その中の最悪のいくつかには遠く及ばない。たとえば、インドネシアによる東チモール侵略と強制併合においては、米国とその同盟諸国の決定的な支援によって、民族皆殺しに近い規模の犠牲者がでた。……

 当時の米国の国連大使(現ニューヨーク選出上院議員)ダニエル・モイニハンは、東チモールに関して彼が国連で果たした役割を次のように述べている。「米国は、事態が自分の望みどおり[に]なることを望み、それを実現するために働きかけた。米国国務省は、国連が採択するすべての対応が無力であることを望んだ。この仕事には私が指名され、私はこの仕事にかなりの成功をおさめた。」……

 第二の点、すなわち、国連がついに意図されたとおりに機能しているという点については、事実は明らかであるが、がっちりと表現の手段を握っている「政治的正しさ」の監視人によって完全に隠されている。長年にわたって、国連は大国によりその機能を阻まれていたが、阻んだのは主に米国であり、ソ連や第三世界ではない。一九七〇年以降、安全保障理事会での拒否権発動数では、米国が他をはるかに引き離して第一位である(英国が二位、フランスはかなり離れて三位、ついでソ連である)。……

 国連がイラクのクウェート侵略に対応しえたのは、このときに限って米国が国連の対応を妨害しなかったからである。国連のイラクに対する経済封鎖が前例のないほど厳しいものであったのは、米国の圧力と脅迫によるものである。この経済封鎖は、例外的に効果をあげる可能性があった。というのは、それが非常に厳しいものであったと同時に、米国や英国、フランスといった封鎖破りの常連がいつもと違って経済封鎖を実行したからである。

ノーム・チョムスキー『アメリカが本当に望んでいること』現代企画室、1994年、89-93頁

 このチョムスキーのアメリカ批判は、'90年代以降の保守政治家お決まりの台詞である「湾岸戦争で日本は国際社会から非難された」と言う際の「国際社会」が、いかに大国のエゴに満ちたものであるかを、そして「国際社会」とは他ならぬアメリカであることを教えてくれる。チョムスキーの言うインドネシアの東ティモール侵略に荷担した「米国とその同盟諸国」とは、日本もその一つに数えられる。このことを忘れてはならない。

チョム:いささか個人的な話しになりますが、私が東ティモール問題について初めて国連で証言したのは25年前、1978年のことでした。証言は裏で妨害されましたが、妨害しようとしていたのは日本の大使館だということがあとでわかりました。

辺:えっ、そんなことがあったのですか。

チョム:インドネシアの友人たちが行った大量虐殺が告発されるのを防ぎたかったのです。だから日本の行いも、決してほめられたものではない。アメリカだけではないのです。

 とはいえインドネシアの東ティモ-ル政策の主な支援者はイギリスとアメリカだった。最後まで支援しつづけたのです。一度たりともやめなかった。最後には、ありとあらゆる圧制が行われていたことなど気付かなかったふりです。世論の圧力に負けて、クリントン政権は最終的にはインドネシア軍との公的な関係を断たざるをえなくなった。けれども政府は関係の再構築を欲していた。そこでいわゆる対テロ戦争を利用して、血に飢えたインドネシア軍の将軍たちと再び手を結ぼうとしているのです。彼らは主に日本とアメリカによって、虐殺の責任に関して西側の操作の手が及ばないよう、守られています。

引用元:http://www.freeml.com/chance-forum/3803

 小沢式「国連中心主義」とは、アメリカと国連が「協調」した湾岸戦争をモデルに、経済大国となった日本が、国連でアメリカの小判鮫として振る舞うことによって(常任理事国入りを視野に入れつつ)、国益を得ようとする大国志向型・軍事志向型モデルである。その意味で、「国連中心主義」というよりは、アメリカ中心主義の変種である。このモデルが今の国際情勢に通用するのかどうかは不明である。

 それでもなお小沢式「国連中心主義」が押し進められるとして、それはどの様な結果になるだろうか。チョムスキーの論述に明らかなように、国連を動かしているのは、大国、特にアメリカの利害である。小沢式「国連中心主義」は、アメリカの反対を押し切ってイスラエルを非難できるだろうか。アメリカが侵略行為を犯した場合に非難できるだろうか。

 小沢式「国連中心主義」の本義からして、それらはありそうもないことに思われる。しかし、アメリカと決別できなければ、結局「国連中心主義」はアメリカ中心主義に包摂され、「国連中心主義」と言う名のアメリカ中心主義がまかり通るだろう。いや、その前に小沢式「国連中心主義」は、アメリカから拒否すらされるかもしれない。


# by sea_of_sound_2008 | 2009-08-28 09:45 | 書籍