公平な選挙制度を!


by sea_of_sound_2008
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 「今国会では断念」が伝えられたとはいえ、今後もやはり警戒を要すべきだろう。

 国会法「改正」案について、民主党は「官僚主導を政治主導に変えるための第一歩」としている。しかし、内閣法制局長官の政府特別補佐人からの排除は、明らかに一般に認知された官僚制の問題、例えば公共事業をめぐる政財官の癒着といった問題とは種類が異なる。

 「官僚主導から政治主導へ」といったスローガンの下に、異なる事例を一緒に取り扱うことはできない。スローガンに惑わされず、事実に即した分析と批判をすることが重要である。


 民主党とのいう「政治主導」とは何か。それはこの場合には「内閣主導」「首相主導」あるいは「与党主導」である。現状において、つまるところは小沢一郎が憲法解釈の最終決定権を握るということである。本ブログでは、既に民主党が「小沢流の解釈改憲」で固まっているのではないかと指摘している。
 内閣が主体となって憲法解釈が行われるということについて、果たして内閣にそのような憲法解釈の権限があるのだろうか。内閣の権能については、第73条その他において、はっきり日本国憲法に定められている。内閣はあくまでも行政権の中枢であるはずだ。そして憲法解釈の最終権限は、司法権の最高機関である最高裁判所にあるはずである。憲法学の素人である私でさえ、内閣に憲法解釈の最終権限を与えるような立法はおかしいのではないかと感じる。


 水島朝穂「なぜ法制局を排除するのか —— 歪んだ『政治主導』」によれば、行政府の憲法解釈は、内閣法制局の憲法解釈を聴取した上で、内閣の責任において行うべきものであるという。つまり、行政府による憲法解釈は、そもそも禁止されていないのだ。これが第一に知るべきことである。

 しかし当然そこには限定もある。行政府が全く自由に憲法解釈を行って良いというわけではない。いかに行政府が憲法を解釈するといえども、国会における論議の積み重ねを軽んじてはならないし、法治主義や憲法尊重擁護義務も守らなければならない。

 水島朝穂は「内閣による自由な憲法解釈は、法治主義や国務大臣の憲法尊重擁護義務の観点から問題であるが、憲法解釈それ自体の性質論からも、単なる政策的必要性から憲法解釈は変更されるべきものではない」として、第134回国会における大出峻郎内閣法制局長官の答弁を引用している。

 「最高法規である憲法の解釈は、政府がこうした考え方を離れて自由に変更することができるという性質のものではないというふうに考えておるところであります」。

 もし内閣法制局の答弁を禁じるのならば、内閣法制局と行政府の憲法解釈を比較することさえできなくなってしまう。内閣による全く自由な憲法解釈が可能になってしまう。となると民主党・小沢一郎の言う「政治主導」とは、「内閣独裁」「首相独裁」とでも言った方が良さそうだ。


 まして民主党と小沢一郎との意図は、はっきりと解釈改憲、つまりは実質的な改憲にある。


 憲法改正の手続きは、周知のように憲法によって厳しく定められている。国会法「改正」という立法によって、解釈改憲(実質的な改憲)のための環境作りをすることは、政治的判断を優先させて、法にかなった正当な手続きを迂回する奇策であり、立法改憲の一種ではないのか。

 「国会法等の『改正』に反対する法学者声明」に「明文改憲が提起しづらい政治状況が生まれたなかで、解釈改憲が現実的な路線として追求されようとしている」というのは、そうした事情を指すものだろう。


 また、内閣法制局長官のせいで政治家同士の国会での議論が停滞しているかのような論理は、おかしい。「声明」にある通り「現状でも政府参考人に頼らずに政治家同士で審議をすることは十分可能」なのであって、ようするに総理なり大臣なりが官僚任せにせず、答弁すればよいだけの話しだ。

 それをしないのは政治家の怠慢の問題に過ぎず、立法の問題ではない。やはり、立法によって「政治主導」を実現しようとすることは詐術である。


 最後に一つだけ触れないわけにはいかないのが、この問題への21世紀臨調の関わりだ。前述「なぜ法制局を排除するのか —— 歪んだ『政治主導』」および赤旗記事「国会法改定議論を開始/小沢氏ら会合 憲法解釈変更狙う」によれば(また読売新聞2009年11月5日付「スキャナー」欄によれば)、「国会改革」の源流は21世紀臨調の「国会審議活性化等に関する緊急提言」にあるという。

 21世紀臨調とはまことに罪深い組織である。



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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-29 17:31 | 政治
 5月20日以来、「Google 翻訳」を通して「ハンギョレ」「プレシアン」等といった韓国の民主派メディアを熱心に見ることが多い。不思議なもので、正確な翻訳ではなくとも記事の趣旨は伝わるものだ(さすがに自説の補強として引用するわけにはいかないが)。先日訳した「BBC ニュース」の記事では、Lee Jae-youn という人が、今の韓国の置かれた状況のことを「悲しい状況」と呼んでいた。様々な含意を感じさせる言葉だが、機械翻訳によっても、韓国のその「悲しい状況」は伝わってくる。少なくとも、部分的には。

 ところで、それら貴重なメディアの一つ「プレシアン」が Google によって、数日前から有害指定されているようだ。検索結果から「プレシアン」を閲覧しようとすると、「このウェブサイトにアクセスすると、コンピュータに損害が生じる可能性があります」というメッセージが出るし、「Google 翻訳」を使って見ようとする場合も同様だ。

 どうしてこうなったのか私にはわからない。ただ、このことを記録しておこう。

[追記6/02]
 現在では有害サイトの警告が出ることなく「Google 翻訳」でも閲覧できるようになっている。
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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-29 11:42 | 雑記
 「上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場」より転載。この声明には「国会法改正案」の問題が集約的に現れているので、是非一読を。この問題を私の言葉でざっくばらんに言うのならは、小沢一郎が憲法解釈の最終決定権を握る、ということになる。強調は転載者による。

国会法等の「改正」に反対する法学者声明

 民主、社会民主、国民新の与党3党は、5月14日、国会法等の「改正」案を野党側の反対を押し切って国会に提出した。

 民主党は、2009年の総選挙のマニフェストで「鳩山政権の政権構想」の5原則の冒頭の2つに、「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」と「政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ」とを掲げ、衆議院の比例定数の80削減を盛り込んだ。また、この夏の参議院選挙のマニフェストには参議院の定数40削減を盛り込む方針を決めた。これらにより選挙制度や議会制について大がかりな改変が構想されている。その後、民主党は11月12日、「国会審議の活性化について」と題する文書を発表した。その概要は以下の通りである。

①政治家同士の議論を阻害している政府参考人制度を廃止する。
内閣法制局長官を「政府特別補佐人」から削除する。
③各委員会において、政治家同士による審議の場とは別に、行政公務員、各界有識者、市民団体、業界団体等から広く意見を聴取する新たな場を設置する。
④質問通告の規則を改善・厳格化する。
⑤政治主導体制を強化するため、大臣政務官を増員する。

 これを受けて、民主、社会民主、国民新の3党は、2009年12月28日、幹事長・国対委員長会談を開き、上記①から⑤の内容を盛り込んだ「国会審議の活性化のための国会法等の一部改正について(骨子案)」(以下、「骨子案」と略)を了承した。

私たちは、将来提起されてくることが予想される議員定数削減も、国民主権と議会制民主主義にとって重大な問題を惹起するものと考えるが、このたび国会に提出された国会法や議院規則などの改定は、必ずしも国会審議の活性化に資するものではなく、むしろ立憲主義の意義を弱め、国民主権の原理に背馳し、憲法が予定する議会制民主主義の形骸化を導くおそれがあるものと考え、この喫緊の問題についての声明を発表し、その危険性を世に訴えることとした。


1.政府参考人制度の廃止について

 国会の審議において、議員同士あるいは議員と大臣・副大臣・政務官との間で議案について十分な議論を尽くすことが重要であるのは、国会が国民主権のもとでの「国権の最高機関」であることから当然のことである。その点では、現行の「政府参考人制度」(衆議院規則45条の3、参議院規則42条の3)は、議長の承認や委員会が必要があると認めるときに答弁できるとしているにすぎないのであって、現状でも政府参考人に頼らずに政治家同士で審議をすることは十分可能である。

 それにもかかわらず、「行政に関する細目的又は技術的事項について審査又は調査を行う場合において、必要があると認めるとき」に「その説明を聴く」としている政府参考人の制度を廃止することは、むしろ国会における審議の質を低下させ、そればかりか、憲法62条が規定する国政調査権を不当に制限するものである。

 上記の「骨子案」では、政治家同士による審議の場とは別に「意見聴取会」を設けるとしているが、そのような場の設定が国会での審議の充実に資する保障はない。「行政に関する細目的又は技術的事項について審査又は調査」は、法律案などの議案の審議のなかで行われることでこそ、現状の問題点の検証や改革の必要性の検討に役立つのであって、制定される法律の質を確保する上でも重要である。そのような審査や調査を「意見聴取会」に切り分けて集めてしまうことは、かえって審議を散漫なものにしてしまいかねない。この「意見聴取会」が大臣等の出席義務なしに開催される場合は、なおさらである。

 また、政府参考人制度の廃止は、官僚による行政運営を、国会とりわけ野党議員の追及からかばい、ひいては政府・与党の政権運営に対する監視や批判の手がかりを国会から奪うことにつながる。その点でも国会の審議機能に低下をもたらす。


2.内閣法制局長官の「政府特別補佐人」からの削除について

「骨子案」は、国会法の69条2項が定める「政府特別補佐人」から内閣法制局長官を削除して、「意見聴取会」で「意見を聴取」する「行政機関の職員」の中に内閣法制局長官を含めるとしている。

 内閣法制局は、「閣議に附される法律案、政令案及び条約案を審査し、これに意見を附し、及び所要の修正を加えて、内閣に上申すること」や「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること」(内閣法制局設置法3条1号・3号)などの事務をつかさどり、内閣法制局長官は、閣議の陪席メンバーである。こうした法律問題の専門的部署として内閣の法律顧問的役割を果たし、政府の憲法・法律解釈の統一性を確保するべき内閣法制局の長官を、「意見聴取会」への出席は可能になるとはいえ、国会での法案審議の場から排除することは、国会審議自体はもとより、政府による憲法運用全般にも大きな歪みをもたらすことが危惧される。

 法案の審議の場では、その合憲性や従来の政府見解との整合性が問題とされる際には、政府の憲法解釈が問われる場面がしばしば現れる。そのような場面で、「政治主導」を理由にして首相や閣僚が、その時々の政治判断で憲法解釈を行い、それによって政府の憲法解釈やその統一見解がなし崩し的に変えられてしまうならば、立憲主義国家の憲法運用のあり方としては、重大な問題を生むことになる。とりわけ、憲法9条に関する政府の憲法解釈が安易に変更されることの影響ははかり知れない。


3.憲法9条の重大な危機

 内閣法制局長官の排除に対する小沢一郎民主党幹事長の意欲は、並々ならぬものがある。同氏は自由党時代の2003年5月には、「憲法や条約の有権解釈の権限を官僚の手から奪い返す」として、「内閣法制局設置法を廃止する法律案」を国会に提出している。また、同氏は、「国連の平和活動は国家の主権である自衛権の行使を超えたもの」であり、自衛隊による国連の平和活動への参加は、「たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない」という持論を持っている。こうした独特の憲法解釈は、「(国連憲章上の)集団安全保障に関わる措置のうち憲法9条によって禁じられている武力の行使、または武力の威嚇にあたる行為については、我が国としてこれを行うことが許されない」(1994年6月13日、種田誠衆院議員に対する大出峻郎内閣法制局長官の答弁)とする内閣法制局の憲法解釈と鋭く対立するものである。

 鳩山由起夫首相も、2009年11月2日の国会で、集団的自衛権の行使を禁じているこれまでの政府の憲法解釈を当面踏襲する考えを明らかにしたが、その2日後の11月4日には、憲法解釈について、「内閣法制局長官の考え方を金科玉条にするというのはおかしい。その考え方を、政府が採用するか採用しないかということだ」と述べ、政府に決定権があると強調した。また、平野博文官房長官も同日の記者会見で、「鳩山内閣以前の内閣での解釈は、法制局長官が判断をしてきている。鳩山内閣では政治家が政治主導で、内閣において責任を持って判断する」と述べた。これは、集団的自衛権の行使は違憲とする内閣法制局が長きに渡って維持してきた憲法解釈を、政府の判断で変更することもありうるということである。

 明文改憲路線を掲げた自民党の安倍晋三首相が、2007年の参院選の敗北の結果を受けて退陣を余儀なくされたことを目の当たりにした民主党は、2009年総選挙では、2005年の「憲法提言」に込めた改憲の方針を鮮明にすることなく勝利した。このように明文改憲が提起しづらい政治状況が生まれたなかで、解釈改憲が現実的な路線として追求されようとしている。そうした解釈変更による9条改憲が容易な国会づくりが、内閣法制局長官の「政府特別補佐人」からの除外によって目指されているといえる。

 国民主権の観点からするならば、本来の意味での政治主導とは、国会をすべての議員が国民の代表としてその力能を発揮できるものとする必要がある。そして、内閣は、そのような国会に対して連帯して責任を負い、そうした内閣の責任を実効的あるものにするために行政機関に対する国会による監視と統制を確保することを基軸にして、国会と内閣の関係は構想されるべきものである。与党三党による国会法等を改正する「骨子案」は、そのような国民主権に基づく本来の意味での政治主導の実現には程遠く、「政治主導」を謳い文句にしつつも、政権党なかんずくその執行部による権力の独占、議会軽視、官僚組織の囲い込み、憲法運用の不安定化、政府解釈の安易な変更による憲法の歪曲をもたらしかねないものである。

 私たちは、このような国会法等の改正に強く反対し、法案の撤回を求めるとともに、国会と内閣の運営を、国民主権と議会制民主主義に立脚したものとするよう広く呼びかけるものである。

  2010年5月20日

<賛同者>

愛敬浩二(名古屋大学教授) 足立英郎(大阪電気通信大学教授) 石埼学(龍谷大学教授) 稲正樹(国際基督教大学教授) 井端正幸(沖縄国際大学教授) 植松健一(島根大学准教授) 植村勝慶(國學院大學教授) *浦田一郎(明治大学教授) 浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 大野友也(鹿児島大学准教授) 岡田章宏(神戸大学教授) 奥野恒久(室蘭工業大学准教授) 小栗実(鹿児島大学教員) *小澤隆一(東京慈恵会医科大学教授) 戒能通厚(名古屋大学名誉教授) 加藤一彦(東京経済大学教授) *上脇博之(神戸学院大学教授) 北川善英(横浜国立大学教授) 木下智史(関西大学教授) 清田雄治(愛知教育大学教授) 久保田貢(愛知県立大学准教授) 久保田穣(東京農工大学名誉教授) 倉田原志(立命館大学教授) 小竹聡(拓殖大学教授) *小林武(愛知大学教授) *小松浩(立命館大学教授) 近藤真(岐阜大学教授) 佐々木光明(神戸学院大学教授) 笹沼弘志(静岡大学教授) 清水雅彦(札幌学院大学教授) 新屋達之(大宮法科大学院大学教授) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 芹沢斉(青山学院大学教授) 高橋利安(広島修道大学教授) 竹森正孝(岐阜大学教授) 只野雅人(一橋大学教授) 田中則夫(龍谷大学教授) 田村和之(龍谷大学教授)塚田哲之(神戸学院大学教授) *中島茂樹(立命館大学教授) 長岡徹(関西学院大学教授) 中里見博(福島大学教員) 中村浩爾(大阪経済法科大学名誉教授) 永山茂樹(東海大学教員) 名古道功(金沢大学教授) 成澤孝人(信州大学准教授) 新倉修(青山学院大学教授・弁護士) 丹羽徹(大阪経済法科大学教授) 前野育三(関西学院大学名誉教授) 前原清隆(日本福祉大学教授) 松宮孝明(立命館大学教授) 水島朝穂(早稲田大学教授) 三宅裕一郎(三重短期大学准教授) 三輪隆(埼玉大学教員) 村田尚紀(関西大学教授) 本秀紀(名古屋大学教授) 元山健(龍谷大学教授) *森英樹(龍谷大学教授) 諸根貞夫(龍谷大学教授) 山内敏弘(一橋大学名誉教授) 山口和秀(岡山大学名誉教授) 山崎英壽(日本体育大学講師) 若尾典子(佛教大学教授) *渡辺治(一橋大学名誉教授) 渡邊弘(活水女子大学准教授) *和田進(神戸大学教授)
その他5名   以上71名

(*は呼びかけ人)


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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-29 10:51 | 政治
 BBC News の記事「S Koreans divided over response to North」の訳です。私の翻訳を信用せず、重要な箇所は原文で確かめてください。誤訳その他はコメント欄にどうぞ。
北朝鮮への反応で分かれる韓国人

 3月26日に北朝鮮との領海近くで沈んだ軍艦をめぐり、朝鮮半島では緊張が高まっている。

 合同調査団は、北朝鮮の潜水艦から発射された魚雷が船を沈没させたとしているが、ピョンヤンはそれを否定している。韓国は北朝鮮との貿易的つながりを停止してしまった。

 事件の深刻さを、そして北朝鮮にどう対処するのが最善かを、韓国の読者が議論する。


Kyungho Rhee, student, Seoul

 北朝鮮はメッセージを送ろうとしている。彼らは、韓国の人々に大きな怒りを引き起こしつつ、たまにこんなことをする(?)。

 韓国はとても強くなった――立脚点を明らかにしておくならばね(?)。

 北朝鮮との貿易を止めるのは正しい行為だ。けれどもそれが深刻な結果をもたらすとは思わない。

 ここでは戦争への欲求(appetite for war)がそんなにあるわけじゃないんだ。経済は強くなりつつあるけど、戦争は僕らをひどく傷つけてしまう。

 僕らにはとても強い軍隊があるわけじゃない。アメリカの支援があるが、それに頼るわけにはいかない。だから北朝鮮との交易を止めるのが、僕らにできる最善のことだ。

 長期的な観点から見るなら――僕が思うに最も大きな影響力を持っているのは中国だ。この問題をどう展開するのか、彼らはその鍵だ。

 僕は、韓国とアメリカは、中国を北朝鮮に働きかける位置に戻すように、努力をしなければならないと信じている。けれど、それは大変な苦闘になるだろう。


Junwhan, 38, government official, Seoul

 天安艦の沈没はとてもシリアスな事件だ。私は水兵たちの死にショックをうけ大変悲しい気持ちになった。

 私はとても心配している。というのは、これが朝鮮戦争以来北朝鮮によるもっとも挑発的な行為だからだ。

 核実験や長距離ミサイルの実験も非常な脅威だったが、それらは実際に韓国の人々を傷つけたわけではない。この事件は人々の命を犠牲にしてしまった。

 数年前に北朝鮮の船舶が北方限界線 [inter-Korean maritime border] を越え、二つのコリアの間に衝突が起きた。北朝鮮は復讐を誓った。

 北朝鮮はまた韓国の外交力、特にアメリカとの関係、を試したかった。それに彼らは、韓国が北朝鮮にどう対応するのかについて、非常に分かたれた社会だということを知っている。

 個人的に私は、北朝鮮に対するより保守的で強硬な姿勢を支持している。思うに我々は厳しくふせがなければならない、だから貿易削減(?)には全く賛成だ。

 放送も重要だ。金正日は我々の敵だが、北朝鮮の人々は我々の同胞だからだ。彼らは外の世界で何が起きているのか知る権利がある。


Lee Jae-youn, intern in a company, Seoul

 これは本当に悲しい状況です。安全保障の問題が非常に深刻なので、人々は心配しています。けれど、私たちの中には政府の発表に対して疑いを持つ人もいます。

 そもそも、なぜ今これが起きたのでしょうか?一週間後には選挙が控えていますが、北朝鮮の挑発行為の多くは選挙前の期間に起きました。だから私たちは、この哨戒鑑沈没事件が与党によって悪用されているのではないか?と疑問に思っています。

 私たちの政府は調査結果を事実と見なしていますが、証拠は明瞭とはいえません。私が疑問に思っているのは、爆発があったにもかかわらず、どのようにして[魚雷の残骸の上の]インクペン(ink pen)のマークがまだ存在しているのかということ。それになぜ北朝鮮は魚雷の底に署名したのでしょうか?

 なんにせよ、これは私たちの国にとって非常に悲しいことです。私たちは死んだ四十六人の水兵の追悼式で一緒に涙を流しました。だから、私はこの事件が誰かの利益のために使われることを望みません。

 これは深刻な状況です。多くの人が戦争について語っています。朝鮮戦争60周年記念日が近づいているし、繰り返し繰り返し我らは彼らに復讐するのだと言う大統領に、私たちは気が気でない思いをしているのです。


Gyuhang Kim, student, Seoul

 僕やその他の多くの人々は、韓国政府が証拠を作り上げ(making up the proof)さえして、故意に北朝鮮を非難しているのではないかと疑っている。

 僕たちはみな政府の反北朝鮮感情に気付いているし、公式報告書は全く信じていない。

 魚雷前部の「1番」というマークは、あのような衝撃を生き延びて存在することはできない。証拠の信頼性に疑義を呈したいくつかのニュースサイトが理由もなく閉鎖され、僕らは政府の検閲を疑っている。

 それにまた、僕は、再統一に向けて最初の一歩を踏み出そうとするつらい仕事をやってきたこれまでの大統領たち、とりわけ金大中、の長年にわたる苦難の業績を、政府が無駄にしていると思う。

 李明博大統領は、再統一への努力の年月を破壊しているだけではなく、韓国の経済と人々とを北朝鮮との戦争――核戦争もしくは第三次世界大戦への序曲――の危機にさらしている。

 沈没の原因について、噂が広まっている――合同訓練中のアメリカの潜水艦との過ちの可能性のような。それは北朝鮮を非難するために韓国政府によって隠蔽されたとされている。


Choi Jae Woo, 24, science teacher, Cheonan

 この事件のことをとても悲しく思っている。私は兵役で海軍にいた時、同種の艦船で働いていた。こうした攻撃のことは心配したことがなかった。

 私は北朝鮮との戦争の可能性を心配している。友達もまたそのことを心配している。

 私たちは北朝鮮のやったことにとても怒っているが、戦争は望んでいない。

 保守派と進歩派の間では、多くの議論が係争中だ。私は保守派だ。

 私はそんなことはやめて(?)、貿易を中止し、彼らの船が我々の領海に入ってくることを防げと言いたい。けれども、本当に危険なことになるかもしれないから、それ以上のことは無理だ。

 私たちはあまり多くのことはやれない。北朝鮮により大きな影響力を持っているのは中国だ。中国がコントロールしてうまくやっていくことを望んでいるが、彼らが姿勢を変えるとは思わない。

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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-26 10:07 | 政治
 韓国哨戒艦沈没事件に対する合同調査団の結果が発表された5月20日は、「科学的」であることとは何かを巡って、中国とアメリカの間で言葉が交わされた日でもあった。それまで「科学的で客観的な調査」を重要視して来た中国に対し、アメリカが合同調査団の最終報告書こそ「証拠に関する客観的、科学的調査」だとやり返したのだ。
 「科学的で客観的」であるためには検証が付き物である。だが、韓国哨戒艦天安の沈没原因については、合同調査団の下した結論の独占状態にある。わかりやすく言えば、「オーケー、あなたがた合同調査団がそのような結論を下しているのはわかった。これは僕らにも関わる非常に重大な問題だ。だから、それを確かめたいんだけど?」ということだ。その意味で、中国が「検証可能なものでなければならない」と言っているのは、全く正しい。


 最終報告書の発表を受けて、北朝鮮は全く異例の反応を見せた。20日には、北朝鮮は韓国に「検閲団」(「検証団」と意訳するのが適当と思うのだが)を派遣すると申し出た。この申し出は韓国側に拒否されたが、22日に再び派遣を申し出ている。ハンギョレ・サランバンによれば、韓国政府関係者は20日の申し出について「南北関係史で前例がないことであり、予想外の対応」とコメントしている。二度の申し出はそれ以上の異例さということになる。北朝鮮のふるまいがいつも通りだとしている人はこの点で正しくない。
 この「検閲団」は、韓国と北朝鮮の相互断絶の流れに呑まれて、一抹の泡として消えてしまったようだ。どんなにこれが受け入れがたい提案であっても、李明博政権は受け入れるべきだったろう。確かに当事者、それも加害者とみなされている立場の国家が、検証作業を行うというのは問題がないではない。しかし、もし北朝鮮「検閲団」が資料を歪曲し無罪を主張したとしても、それに反論すれば良いではないか。それが科学というものだろう。

 これはまた科学という手続きの場を借りて、北朝鮮を対話に参入させることができる絶好の機会でもあっただろう。断罪するが弁明の機会は与えないというのでは、北朝鮮を追いつめるだけである。


 合同調査団の構成について、各報道をまとめると韓国軍が主体であり、米海軍も加わっているようだ。アメリカのキャンベル国務次官補は、「アメリカも調査に積極的にかかわっており、その結論を強く支持する」と述べた。そのことが直ちに真実性を歪めるわけではないだろう。しかし中立性の観点から言うと疑問が残る。それにここにはもう一つの問題がある。
 韓国の参加は(与党に有利な政治的判断を下すかもしれないと言う疑いはあるにせよ)当然として、アメリカもまた合同調査団に関わっている。既に報道されているように、中国とロシアは独自に調査しており、結論をまだ出していない。となると六ヵ国協議関係国の中で、調査も無しに結論を出しているのは、北朝鮮を除けば、日本だけである。このことからも鳩山政権が、合同調査団の最終報告書を受けて、韓国政府に即座に全面支持を与えたのは早計であると言える。

 せめて日本も独自調査をすべきだった。そしてより良いと思われるのは、真に国際的な検証をおこなうように提唱することだ。ここで「国際的な」という意味は、合同調査団が自らを誇って主張しているような意味ではない。「様々な国家に所属している人が参加していること」ではなく、「国家にとらわれない」ということである。

 そのような場が設けられるならば、おそらく関係各国(今や日本もそこに含まれるのだが)にとっては、冷静さを取り戻す機会になるだろう。あらためて北朝鮮の関与が結論づけられたとしても、その過程で北朝鮮を外交的な交渉の場に引き出すことができるかもしれない。そして、これは哨戒艦沈没事件に対する、かなり理性的な回答ではないだろうか。
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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-26 08:23 | 政治
 韓国の哨戒艦が沈没した原因がなんであれ、確実にわかっていることが二つある。一つは、韓国では「北朝鮮関与説」以外の異論が提出されていること、もう一つは、そうした異論に対して韓国政府が言論弾圧を行っていること。そうした事情を踏まえるなら、日本が韓国と同様に「北朝鮮関与説」に染まろうとするのは早計だ。


 今日20日、3月26日に韓国で起きた哨戒艦の沈没事件に対して、合同調査団が「北朝鮮製の魚雷による沈没」とする最終報告書を発表した。といっても、その結論は既に知られていた。韓国政府が散々漏らしてきたからだ。李明博大統領は、今月初めには既に「北朝鮮関与説」に心を決めていたようだ。
 哨戒艦沈没事件が日本でも俄然注目されるようになったのは、おそらく16日に行われた日韓外相会談を境にしてだ。韓国の柳明桓外交通商相が岡田克也外相に、北朝鮮の犯行であることを断定したからだ。岡田外相は、韓国側の見解を全面支持する日本の姿勢をはっきりさせている。

 これは哨戒艦沈没を巡る韓国と北朝鮮の政治対立に、日本が巻き込まれていくことを意味する。だが、そのことは日本では充分に検討されているとは言えない。岡田支持発言を批判する声も紙メディアにはなく、インターネット上にしかないようだ。だが、日韓外相会談の時点で、既にこの事件がかなり錯綜したものであることはわかっていた。


 韓国の「北朝鮮関与説」以外の説にはどのようなものがあるのか?二つ取り上げる。

 一つは、『ハンギョレ21』が報道した未回収機雷説だ。「ペクリョン島を要塞化せよ」との朴正熙元大統領の指示に基づき、1970年代に敷設された機雷が、その後の回収作業にもかかわらず一部未回収のまま残されており、それに接触した可能性があるという。要職にあった元軍人が匿名で証言した。
 もう一つは、KBS テレビが、「謎の第3ブイ…なぜ?」という特集で示唆した、米潜水艦との衝突説だ。「田中宇の国際ニュース解説」と「河信基の深読み」での紹介をまとめると、同番組は、沈没した哨戒艇とは別の「第3ブイ」でも捜索作業が行われたことに注目し、そこにアメリカの潜水艦が沈没していた可能性を指摘するものであるらしい。

 なんとこの放送は当局から名誉毀損で告訴されてしまった。

 言論弾圧の状況に関して、やはり二つの例を取り上げる。哨戒艦が沈没した原因に対しては、いろいろと推測が成り立つが、韓国政府はそうした推測を許さない態度で望んでいる。

 まず、韓国の検察は、インターネット上の言論活動に対して、「デマ」への処罰という形で取り締まる姿勢を見せている。それらの中にはくだらないものもあるだろうが、言論の場に権力が介入することは、言論全体を萎縮させる効果をもたらす。
 先程述べたように、KBS の番組「謎の第3ブイ…なぜ?」に対しては、韓国政府が名誉毀損で告訴している。この番組はインターネットでも閲覧できたそうだが、現在は閲覧できず当該ページには「法廷闘争のため原稿掲示と映像サービスは中断します」とあるだけだ(この訳文は「河信基の深読み」による)。
 こうして権力を使って異論を排除してゆくということは、当局が許した公認の結論以外は許されないということだ。「デマ」とは、畢竟「当局の見解以外は全てデマ」「北朝鮮関与説以外は全てデマ」ということではないのか。


 昨日と今日、鳩山首相もまた韓国を支持する発言をした。だが、その日本が支持することに決めた韓国の状況はというと、以上かいつまんで見たように、非常に問題があるものだ。それに同調するのは正しい選択とは言えない。また韓国内でも野党やハンギョレのような進歩派メディアは、政府と違った意見を持っている。
 日本で差し当たりこの先に起こりそうなことは、世論が悪魔化された北朝鮮のイメージを自己確認することだろう。やっぱり北朝鮮はこういうことをする国だ、だから北朝鮮には強硬論で望むのが正しい、というわけだ。もう一つ起きそうなことは、普天間基地問題とのリンケージだ。この合同調査団報告書の出した結論は、「北朝鮮の脅威」に対して海兵隊の「抑止力」が必要であることの証左として喧伝されるかもしれない。
 この件をマスメディアがどう伝えるか非常に心配だ。日本のマスメディアは、拉致事件について強硬論一色から未だに抜け出していない。だが、日本政府が韓国政府に同調し、日本政府にマスメディアが同調するということでは困るのだ。それは結局は韓国の異常な状況を日本に伝染させることになる。


 あと、二三のことを書いておきたい。

 まずはアメリカがこの問題にどう関わっているのかということ。KBS が伝えた米潜水艦との衝突説が本当だとしたら当事者であるのはもちろんだが、そうでなくても朝鮮半島の情勢にアメリカが関わっているのは当然だ。当初アメリカは北朝鮮の犯行とする見方には否定的だった。それが何故変化したのか。今後東アジアで何をしようとしているのか。

 また、特に書いておかなければならないのは、仮に北朝鮮が関与していたとしても、北朝鮮に強硬な姿勢で望むのが唯一の方策ではないということだ。雑誌『世界』6月号の連載「ドキュメント 激動の南北朝鮮」によれば、犠牲者兵士の家族協議会代表は、李大統領に対して「同じ方法で仕返しするようなことはいけない」と語ったという。「北朝鮮関与説」が韓国政府の唯一の見解となっている現状では、それ以外の説を検討することは重要だが、それが全てではない。


 今後起きることが何であれ、李明博政権の強硬論は韓国の政治だけでなく、日本の政治にも良い影響を及ぼさないであろう。これがきっかけとなって日本で対北朝鮮強硬論が勢いづくことが考えられる。李明博政権の「北風」に巻き込まれてはいけない。
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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-20 14:57 | 政治
 以下は Los Angeles Times に掲載された Chalmers Johnson による「もう一つの沖縄の戦い(Another battle of Okinawa)」の翻訳である。誤訳などあったらコメント欄で指摘していただきたい。
もう一つの沖縄の戦い
反対運動にもかかわらず、アメリカは新しい軍事基地を沖縄に建設する計画に固執している


May 06, 2010
チャルマーズ・ジョンソン

 沖縄の軍事基地に対する議論を巡って、合衆国は日本との同盟関係を恒久的に損なう縁《へり》にいる。この島嶼県は、日本におけるアメリカの軍事施設の四分の三を迎え入れている。ワシントンは生態的に繊細な地域にもう一つ基地を建設したがっている。沖縄の人々はそれに烈しく反対しており、先月には何万人もの人々が基地に抗議するために集まった。東京は板挟みになっており、日本の首相はアメリカの要求に屈したかのように見える。

 第二次世界大戦以来アメリカが獲得した地球を取り巻く海外の軍事基地たち――それは130ヵ国700箇所以上にのぼる――の中でも、我々が沖縄に建設したものほど悲しい歴史を持つものは希である。

 1945年には日本はもちろん敗戦した敵国だったし、それゆえ、どこにどのように基地を配置するかについて発言の機会は与えられなかった。日本本土では、我々は単純に彼らの軍事基地を引き継いだだけだった。しかし、沖縄は日本が1879年に併合するまで独立した王国であり、日本は沖縄をアメリカにとってのプエルトリコのようなものだと見なしたままだった。島は太平洋戦争における最後の大きな戦いで破壊され、アメリカは造作もなく欲しいと思った土地を整地し、住人から取り上げるか、強制的にボリビアに移住させた。

 1950年から1953年にかけて沖縄のアメリカ軍基地は朝鮮戦争を戦うために使われ、1960年代から1973年にかけてはヴェトナム戦争の期間中使われた。基地は補給基地と飛行場として提供されただけでなく、兵士たちが休息し気晴らしし、酒場と売春婦と人種差別のサブカルチャーを生み出すための場所となった。いくつかの基地の周辺では黒人と白人のアメリカ兵の喧嘩が執念深く頻発するため、二つのグループの要求を満たすために、隔離された地帯が生み出された。

 アメリカの日本占領は1952年の講和条約とともに終了したが、沖縄は1972年までアメリカ軍の植民地であり続けた。20年間もの間、基本的に沖縄の人々は国家なき民であり、日本のものであれアメリカのものであれ、パスポートも市民権も取得する資格が与えられなかった。日本が沖縄に対する統治権を取り戻した後も、アメリカ軍は数々の基地で起こることに対して、沖縄の空域に対して、支配を保ち続けた。

 1972年以来日本政府とアメリカ軍は、沖縄の人々が自分たちの未来について意見することをすっかり否定することで共謀しているが、それがゆっくりと変化しつつある。例えば1995年には、二人の海兵隊員と一人の水兵が、12才の少女を拉致し強姦した件で告訴された後、基地に反対する大規模なデモがいくつも開催された。1996年には、アメリカは宜野湾市にすっかり囲まれている普天間基地を返還する用意があることで合意したが、日本が沖縄のどこかに別の基地を代わりに建設することを条件としていた。

 そして名護市を候補とする案が生まれた(2006年の米日の合意までは正式ではなかった)。名護市は沖縄本島の東北部に位置する小さな漁村で、フロリダのマナティーに似た哺乳類、絶滅の危機に晒されているジュゴンの生息地である珊瑚礁があるところだ。そこに大規模なアメリカ海兵隊の基地を建設するには、杭打ち方式か埋め立てによって滑走路を建設しなければならないが、それは珊瑚礁を死滅させてしまう。環境保護家はずっと抗議を続けてきたが、2010年の初めには、名護市は自分の町におけるあらゆるアメリカの基地建設に反対する公約を掲げた市長を当選させた。

 2009年に政権の座に着いた日本の首相、鳩山由紀夫の勝利の一因は、合衆国に対して普天間海兵隊飛行場の撤去と全ての海兵隊の沖縄から撤退を求める公約のおかげである。しかし火曜日に彼は沖縄を訪れ、深くお辞儀するとともに、住人に対して文句を言わないようにぜひにとお願いした。

 私は鳩山の振る舞いは臆病で軽蔑すべきものだと思うが、それよりも日本人をひどくもこのような屈辱的な袋小路に追い込んだアメリカ政府の傲慢さを更に非難するものである。アメリカはそうする余裕もなければ、ますます多くのいわゆる受け入れ国が最早望んでもいない、我らが軍事基地帝国を維持することに強迫観念を抱くようになっている。私は合衆国に対して、その傲慢な態度を改めることを、普天間の海兵隊を合衆国の基地(私がその近くに住んでいるキャンプ・ペンドルトンのような)に帰還させることを、そして沖縄の人々に彼らの65年間にわたる忍耐を感謝することを強く提案したい。

原文:Los Angeles Times - Another battle of Okinawa by Chalmers Johnson

 実は「Internet Zone::WordPressでBlog生活」でこの記事の存在を知ったのだが、一通り訳し終わった後改めて同サイトを見ると GAKU さんが、ご自分の訳を投稿されていた。なんと!

 まあいいや。

 GAKU さんへ。いくつかの訳語を参考にさせてもらいました。この場を借りて感謝申し上げます。
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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-12 17:29 | 政治
 未だに「北朝鮮の脅威」が持ち出されるのか。そう思わずにはいられない。憲法を無視してイラクに派兵する際にも、やはり「北朝鮮の脅威」が理由として、当時首相だった小泉純一郎その他の口から語られたのだった。しかもあの時派兵の露払い役を務めた岡本行夫がアメリカ軍の駐留を正当化しているらしい。同じイシュー、同じ顔。政権が変わっても構図は変わらない。
ただ、私ども、将来的に、それこそいつになるかということ、分かりませんが、将来的にはグアム、テニアンへの完全な移設ということもあり得る話かとは思っておりますが、現在の北朝鮮をはじめとする、いわゆる北東アジア情勢、あるいはアジアの情勢を鑑みたときに、やはり日米同盟を維持していく中での抑止力の観点から、沖縄のみなさん、あるいは沖縄の周辺のみなさま方に引き続いてご負担をやはり、お願いをせざるを得ないという状況になってきていることも、これは政府としても考え方として申し上げなければなりません。その意味で、私どもとして県外をさまざま模索をしてまいってきたところでございますが、やはり陸上部隊との共同訓練、あるいは共同行動というものの歩調がどうしても必要だという議論が先方からなされている中で、あまり遠いところに移設地を求めるということができないという事実も、私どもの交渉の中で出てきているところでございます。

引用元:http://www.sankei.jp.msn.com/politics/policy/100504/plc1005042103030-n2.htm
 これは脅しの連鎖だ。アメリカは日本を脅す、政府は人々を脅す、「北朝鮮の脅威」を煽り立てて。その不条理を押し付けられるのは沖縄だ。本当は「北朝鮮の脅威」を言い募る者こそが脅迫者なのだ。しかし、鳩山首相が沖縄に妥協案を持ち込むところはカメラが捉えても、アメリカと日本の間にどんなやりとりがあったのか、首相と外務官僚や防衛官僚の間にどんなやりとりがあったのかは、決してカメラに映らない。


 沖縄国際大学にアメリカ軍のヘリコプターが墜落した時のことを思い出す。確か搬送されるところをテレビで見ていたのだと思う。が、はっきりとは覚えていない。それは沖縄以外に住んでいる人にとっては、普段メディアが沖縄を、そしてアメリカをどのように伝えているのかを示すひとつの典型例だった。

c0187090_1934016.jpg 町並みは日本の他の場所と比べても変わらない。東アジア的なちょっとだけ雑然とした雰囲気だ。マンションらしき建物が見えたと思う。だがその風景の中を頭を短く刈り込んで、引き締まった体つきをしたアメリカ兵たちがぞろぞろと行くのは異様に感じられた。墜落したのは普天間基地海兵隊所属のヘリコプターCH-53D型機だ。 もちろん沖縄に住む人にとっては、その一瞬だけ映し出されたアメリカ兵がいる風景の方が現実なのだ。私はそれを見て、いつもは隠されている真実が偶然の機会によって開示されたような感慨を覚えた。それはメディアが映そうとしない沖縄の姿であり、日本の姿である。果たしてあのような「事件」に拠らずに、メディアはどれほど沖縄の姿を伝えてきたのか、私はそれを知ろうとしてきたのか。有事法制が成立した現在、同様の光景は潜在的に日本のどこであっても出現しうる。

 アメリカがカメラに写っていない時、人は基地に苛まれる沖縄のことを忘れることができる。日本がアメリカの軍事的支配を受けている事実を忘れることができる。だが、既に不公平な真実は我々の前に示されているのだ。それを存在しないかのように振る舞ったり、仕方のないことだと追認するのは、愚かであり、欺瞞であり、倫理に反する行為である。


 それにしても未だに「北朝鮮の脅威」だ。アメリカの当局は、はっきりとこの件の日本における効果を知悉しているらしい。憲法を踏みにじって違法な侵略戦争を手伝わせ、長年にわたる外国の軍隊の駐留を許し(しかもそれに莫大な金を払わせ)、あわよくば憲法を変えさせるのに多くの言葉は不要だ。2002年9月17日以来、北朝鮮と言いさえすれば日本人は何でもする。そのことをアメリカは知っている。

 それはつい最近も高校無償化からの朝鮮学校の排除という形ではっきり示されたばかりだ。

 もし人類の主観というものに一切関心のないある超越的な存在が、東アジアを俯瞰するならば、そこには彼には理解できない理由で徒党を組み、互いに武器を向け合っている奇妙な生き物たちがいるだけだ。彼がもう少し詳しく観察するならば、何故かアメリカと呼ばれる場所からはるばるとやって来てまでそれに加わっている生き物たちの存在を見て不思議がるだろう。

 主観に絡め取られた私たちは、アメリカがこの地域で軍事的存在を誇示していることを忘れている。そしてそれが北朝鮮にとってどういう意味を持つのか考えもしない。北朝鮮と日米韓の軍事力の差は圧倒的だ。かの超越的存在ならきっとこの非対称を滑稽に感じるはずだ。それは結局日本がアメリカにとって世界支配のための道具であることを忘れることになるのだ。

 「北朝鮮の脅威」とアメリカ軍の「抑止力」は全く同じものだ。言葉の違いは方言のようなものである。北朝鮮では前者は「自衛のための抑止力」と呼ばれるだろうし、後者は「我が国への脅威」と呼ばれるだろう。それにしても「抑止力」とは何という言葉だろう。「抑止力」には抑止が効かない。イラク侵略においては、墜落したヘリと同型機を含む部隊が普天間基地から派遣された。

 北朝鮮に対する政策を変え、北朝鮮そのものを変えない限り、「北朝鮮の脅威」は日本を脅迫する材料であり続ける。そうである限り、日本はアメリカの奴隷であり続ける。蓮池透は「やみくもな制裁路線」が事態を膠着させているとし、北朝鮮には「行動対行動」で望むべきだとしている(『拉致』)。

 どのメディアも鳩山首相の迷走ぶりを採り上げている。まさにその通り、首相は迷走している。だが、それを伝えるメディアは、この問題についてどのような態度を表明して来たというのだろうか。彼らは首相を批判するが、アメリカの批判はしない。アメリカの動向が問題であるにもかかわらず、アメリカが不在なのだ。

 今や全国紙や週刊誌は奇術師となった。我々の目の前で繰り広げられるのは大がかりな消失ショーだ。早期に沖縄を説得していれば県内移設で問題なかったとする読売社説。一つの段落を全て「中国の脅威」に費やしている日経社説(いかにも日経らしい)、その他、その他。「普天埋基地移設問題」について語られる論説から、当事者であるはずのアメリカの姿が消え失せている。 東京在住のメディアが自らの奴隷根性や臆病さを棚に上げ、首相の決断力不足や優柔不断さ――要するに人格ということだが――に焦点を当てつつ、問題の根本であるアメリカに向かい合おうとしないのは誤魔化しそのものだ。手品には必ず種があるのだ。しかしある意味では我々も奇術師になるべきなのだろう。沖縄から、日本からアメリカの基地を消すために。


 ところで、このような性質は死んでも治らないと思わされたのは、ワシントン・ポストのコラムニスト Al Kamen が鳩山首相をおちょくって用いた「気の触れた( loopy)」という言葉を振りかざし、倒閣に利用しようとする人々が現れたことだ(「気の触れた」は誤訳ではない。おそらく英語話者は loony を思い浮かべるはずだ)。これもまた何が写っていないのかについての話である。 「米国の核の傘で何十億ドルも節約した」と書ける人物、知識において正真正銘の無知、倫理において堕落しきったクズである人物が、日本が思いやり予算を始めとして毎年「何十億ドル countless billions 」も支払っていることなど知るはずもないし、在日コリアンを含む被爆者の苦しみなど想像するはずもないし、ましてあの首脳会談ならぬ夕食会での「10分会談」が沖縄を落胆させたことことなど知るはずもない。おちょくられたのは首相であるというより日本である。

 アメリカに逆らわないメディアがアメリカに逆らえない首相の姿を映し出す。そこに何が映し出されていないのかは明らかだ。首相は訪沖に先立って「何度でも沖縄へ行く」と語った。しかしそのような悲壮な決意を持つべき対象は沖縄ではなく、アメリカである。構図を変えよう。フレームの外に何があるのか想像することだ。枠から外れてしまったアメリカを視野に捉えようとしない限り、問題の解決はやって来ない。
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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-11 18:55 | 政治
  私のずぼらな性格からして上手く機能するかどうかわからないが、ブログの運営についても、エントリを立てて行くことにした。自分のためのメモに近いので興味のない人は無視しよう。細かな変更を逐一記述するとは限らないのであしからず。

 「ブログの説明」を「本当のオルタナティブを支持しよう」から「公平な選挙制度を!Fair votes now!」に変えた。英語の記事からのパクリである。イギリス自民党が real alternative という言葉を使っているが、前回の説明はそれのパクリではない。自分で思いついた。
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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-09 14:37 | 運営情報
 小選挙区制・二大政党制の支持者はこれまでイギリスの選挙制度をモデルとみなし、教条的にその移植を日本に計ってきた。患者の状態や拒絶反応は無視された。本当に移植手術が必要なのか、それとも他の治療法があるのではないかといったことさえ議論されなかった。しかしそのイギリスで今、下院総選挙の結果として選挙制度の改革が話題となっている。

c0187090_1421980.jpg 6日に行われたイギリス下院の総選挙では、保守党が労働党、イギリス自由民主党を抜いて第一党となったものの、獲得議席が過半数に達しない「ハング・パーラメント」の状態になった。しかしそのことだけでイギリスの選挙制度が動揺していると言うのではない。まず注目すべきなのは、得票率と議席数の乖離だ。

 自由民主党は 23% の得票率で 57 の議席しか獲得できなかったが、労働党は 29% の得票率で実に 258 の議席を獲得し、第一党となった保守党は 36.1% で 306 の議席を獲得している(過半数は 326 議席)。数パーセントの得票率の差が、数百もの議席の差となって現れる制度の不公平は明らかだ。 それこそが小選挙区制というものであり、イギリスが保守党と労働党の二大政党制であることは変わらないと言う人がいるかもしれない。しかしそれは制度の不公平に目をつぶる行為だ。選挙の結果はともあれ、少なくない支持を受けている政党が、議会において影響力を発揮できない状態であるのはやはり問題である。


 ここで小選挙区制が日本にもたらされた経緯を思い出そう。リクルート事件以来起こった金権政治への批判は、選挙制度の改革に利用されていった。金権政治への批判が「政治改革」という言葉に集約され、選挙制度を変えることこそが「政治改革」なのだと意味をねじ曲げて規定された。それにはマスメディアも荷担した。
 なぜそうまでして日本に小選挙区制が導入されたのか。いかに小選挙区制の功徳が説かれるにしろ、究極的には、それは戦後長く政権の座にあった自民党を倒すためならば手段を選ばないという考えに基づいている。そしてそれは広く承認されたものというよりも、特定の知識人や特定のジャーナリストの考え、つまりは特定のエスタブリッシュメントの考えである。

 1991年の『政治家の条件』で森嶋通夫はあけすけにもこう書いた。
 [政官財の癒着に終止符を打つには]中選挙区制をやめて小選挙区制にすることである。そうなれば弱小政党は抹殺されると恐れている人がいるが、確かにそうである。……しかし、このような抹殺は歓迎すべきことである。弱小政党が存亡の危機に晒されないから、野党が小異に固執して連合せず、自民党は強力な競争相手から挑戦を受けることがないのである。

森嶋通夫『政治家の条件―イギリス、EC、日本』 (Amazon)
 推測になるが、こうした考えを支持する人々は、1990年前後に起きた「社会主義の終焉」とされるもの、及び1994年の村山内閣発足に端を発する社会党の凋落を見て、ある種の転向を遂げたのではないだろうか。それは言うなれば、社会党(あるいは社民党)や日本共産党は潰れても良いから、なんとしてでもそれ以外で自民党に対抗できる政党を日本に作ろうとする考えのことである。

 そう考えると、社民党・共産党がまるで存在していないかのように取り扱う21世紀臨調の傲岸不遜な態度や、民主党を社会民主主義政党に見立てようとする山口二郎の奇矯な振る舞い(『政権交代論』)も理解できる。昨年の「政権交代」以前のマスメディアの民主党への肩入れもまた同様である。
 先日のエントリで触れた上杉隆もそうだが、社民党は今となっては政権与党なのだから、それは不公平であるだけでなく、現実から逸脱した独善である。


 そして、その打倒の対象であった自民党も今や弱体化の過程にある。最早日本でも小選挙区制を見直すべき時期が来ている。


 小選挙区制は中選挙区制と比べてクリーンな制度だと言われた。しかしいわゆる「政治と金」の問題が無くなっていないのは、小沢・鳩山の問題を見れば一目瞭然だ。「政治と金」の問題は選挙制度を変えることではなく、法律を整備する(企業団体献金の禁止などといった)ことで対処すべきであるし、対処できるのである。薬を処方すべき病に手術を施すのは良い医者ではない。

 小選挙区制は、2005年の自民党の大勝とその後の信託を受けていない政権に対しても、いくばくかの責任がある。小泉は覚醒剤のようなものだったと言われることがあるが、その違法な薬物の使用を可能にしたのは小選挙区制だ。二大政党制とはいっても、その時々には一大政党があるだけなのだ。


 また、誰もが環境を考慮しなければならないこの時代において、なぜ日本の国会に「緑の党」が議席を保持していないのかという問題がある。みどりの会議代表の中村敦夫は議員としてかなり奮闘していた人物だと私には思われるのだが、同会議は2004年に全ての議席を失い解散してしまった。

 断定的に言うことはできないが、「緑の党」の消失は小選挙区制が一因ではないのか。「緑の党」のような政党はその性格からして、大政党として単独政権を担うことは考えにくい。この「弱小政党」の「抹殺」が「歓迎すべきこと」だとはとても思われない。小選挙区制では多様な価値観に対応できない。


 小選挙区制を見直すとなると、また中選挙区制に戻るのか、それだけはごめんだという人が多い。しかし選択肢は中選挙区制ばかりではない。中選挙区制以外にも、比例代表制、小選挙区比例代表併用制(並立制ではない。比例代表制に近いとされる)等がある。

 先日細川護煕元首相がインタビューに答えたように、選挙制度はそのままにして小選挙区と比例区を同じ定数にする案なども考えられる。私はこの案に余り賛成ではないが、より少ない抵抗で実行できるのが利点だろう。


 なお、森嶋通夫は前掲書で、一度に完全小選挙区制を実施するのは困難であるから、徐々に完全小選挙区制に移行するという計画を述べている。おそらく民主党が掲げている比例区削減案は、このような考えに基づいている。比例区の削減はいずれは完全小選挙区制に移行する布石だと言うことだ。

 しかし小選挙区制を導入した意図が前述の通りである以上、その目論見は正当性を失っている。今となっては大政党が自党に利益を計ろうとすること以外にその目的を見出すのは難しい。民主主義の本義に反する姑息な比例区削減はきっぱりと諦めるべきだ。


 また、そうした選挙制度では連立政権になることが多く、第三党が力を持ちすぎたり、政権が不安定だとする人もいる。

 まず最初の意見について言うのならば、それは今回のイギリスに顕著なように、そもそも小選挙区制が得票率と獲得議席の乖離した不公平な制度だと言うことを忘れた言い分である。現在の制度では、勝者、特に第一党が過剰に力を持ち過ぎているし、敗者は影響力が無さ過ぎるのだ。これは日本のように地域と支持政党が必ずしも対応していない国において著しい結果をもたらす。

 次に連立政権の運営についても、連立政権を組む前に充分議論し、その過程を人々に公開するならば混乱は避けられる。異なるイデオロギーの政党が連立を組む場合に、何を目的にし、何を目的としないかをはっきりさせれば、政党与党の支持者もその他の有権者も納得するだろう。

 その場合、連立政権に何を望むか世論調査をしたり、公開討論会を開催したりして、どのような形で連立を組み、どのような政策を実行するのがふさわしいか議論することなどが考えられる。比例代表制その他の選挙制度に問題点がないとは言わない。しかし、それは克服可能な困難ではないだろうか。

 実はこのことは山口二郎さえ渋々ながら語っている。ほんの僅かの記述ながら前述の『政権交代論』には、比例代表制を採用するとしても、運用面でのルールである「憲政の常道」を確立するならば、その困難を乗り越えることができるだろうと読める箇所があるのだ。


 「政権交代」論者の中には、小選挙区制を改めると再び自民党に力を与えることになるという人もいるかもしれない。元々選挙制度はそのような観点から語られるべきではないのだが、そういう人には1993年の細川内閣の成立が中選挙区制の元で起こったという事実を指摘しておきたい。選挙制度が何であれ、国民から支持されない政党は下野せざるを得ない。

 昨年の民主党の勝利を「憲政史上初の政権交代」と呼びたがる人には受け入れがたいかもしれないが、これは選挙制度より支持率の方がものを言う証拠である。常識的に考えても、有権者が動かないのなら制度を変えてしまえというのはひどい思いつきではないだろうか。まして自民党が没落しつつある今となっては、この論にしがみつく訳にはいかない。


 イギリスをモデルとみなすのならば、その政治に変化が起きようとしている時、日本もまた変化を目指さなければならない。イギリス自由民主党は他党との連立の条件として、比例代表制の検討を持ちかけている。これまで「イギリス病」に罹っていた知識人やマスメディアが、こうしたイギリスにおける議論を無視するならば、それは一貫しない不誠実な態度である。

 既に新聞社の社説には、この先のイギリスの帰趨を見定めた上で小選挙区制に対する態度を決めようとする日和見がありありと見て取れる。しかしこの先のイギリスの動向が不明であっても、既に小選挙区制の不公平さは示されているのだ。

 小選挙区制のあらゆる根拠は崩れた。言い訳はごめんだ。




*なお、現在では「みどりの未来」が「みどりの会議」「緑のテーブル」の後継的存在であるらしいので、公式サイトを掲げておく。みどりの未来公式サイト(http://www.greens.gr.jp/)。
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# by sea_of_sound_2008 | 2010-05-09 13:59 | 政治