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by sea_of_sound_2008
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 次に書くことは「マスコミに載らない海外記事」が訳している「ジョージ・オーウェルの『1984年』を2010年に再訪」という記事を見て考えたことだ。個人的にこれはとても時宜を得た翻訳だった。というのはアメリカが「一党国家」だというのはまさしく最近の私が考えていたことだから。
一党国家: オセアニア同様、アメリカは事実上、一党国家だ。二つの巨大企業政党が、偽って二つの“対抗している”党であるかのごとき振りをしているのだ。実際には、両党は、実際は一つの党の軟派・硬派二派閥に過ぎない。金融支配層が経済的に重要なあらゆる物事と、資源開発を、しっかり支配している。アメリカ版の一党国家は、表面上、明らかにそうでないもののように見えてしまうがゆえに、実際オセアニア版よりも一層危険な程、オーウェル風だ。オセアニアは、民主主義のふりをしようと気を使わないだけ、少なくとも十分に“正直”だ。

引用元:マスコミに載らない海外記事 - ジョージ・オーウェルの『1984年』を2010年に再訪

 例えばアメリカは中国の体制を非難する。確かに中国の体制に問題はあるだろう。しかしアメリカの体制にも大いに問題はあるのだ(そして日本の体制にも)。アメリカと中国のどちらかに問題があるのではない。どちらにも問題がある。

 だがある人々は、片方に中国というとんでもなく遅れた国家があり、もう片方にアメリカ(やあるいは日本)という素晴らしく自由な国があると受け取っている。「左翼」や「社会主義」に対するお決まりの偏見がそれを増長するだろう。非難のための道具と化した「人権」が正当性を与えてくれるだろう。中国を見る目にはアジアに対する古い偏見も幾分かは加わっている。日本の場合近代以来の福沢諭吉的なアジア蔑視がその代用品となっている。

 言葉をもじって言うのなら、アメリカは「一党独裁制国家」ならぬ「二党独裁制国家」だ。何も非難のために概念をもてあそびたいわけではない。その意味するところは、この記事にある通り、二つの政党のどちらに投票しても支配層に大きな影響はないし、彼らを脅かすような政策が実行されることはないということだ。「第三の道」という名前で新自由主義に転向したイギリスもそうだ。

 今日では誰でもファシズム国家は論外だと言うだろう。そしていわゆる「共産主義国家」も問題だと言うだろう(コミュニストですらソビエトを非難するのだから)。だが民主主義国家についてはたいした検証もなく問題なしと見なされる。そして民主主義体制が最終目標であるかのように言われる。民主主義の中身は問われない。

 共産主義が一度も実現したことがないのと同じくらい、民主主義は実現したことがない。現存する民主主義国家は、文字通りの民主主義国家ではなく、「いわゆる民主主義国家」とか「自称民主主義国家」とでも呼ぶべきものだ。それを見て取るのに何のイデオロギーも必要ないし、敢えてそういう言い方をするのならマルクスを読む必要もない。一体アメリカのどこをどう見れば民《たみ》が支配していると言えるのか。

 それは日本も同様だ。鳩山政権の末期に沖縄の人々が憤ったのは、首相が普天間基地の県外移設を公約し、票を集めて当選して政権の座に着いたにもかかわらず、その公約が実行されないということだった。しかもなぜ実行されないのか本当のところは誰にもわからないのだった(右派のメディアや評論家はいろいろ解説して見せたがそんなものは何の正当性もないし、全くの無価値だ)。

 ソビエトは共産主義ではなかった。アメリカも民主主義ではない。「政権交代のある二大政党制」を掲げる人々、政党、マスメディア、学者が目指しているのはそういうアメリカ型の国造りだ。見せかけの政権交代ということだ。一党が支配する代わりに二党でキャッチボールをするということだ。本当に重要な選択肢はあらかじめ排除するということだ。
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by sea_of_sound_2008 | 2010-07-16 14:30 | 政治