公平な選挙制度を!


by sea_of_sound_2008
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2009年 08月 17日 ( 2 )

 自民党と民主党の両党が、マニフェストで議員定数の削減を競い合っている。民主党のマニフェストには「衆院比例区80削減」が盛り込まれた。自民党のマニフェストも「衆参両院議員の総定数3割以上の削減」を盛り込んだ。この一致は何を意味するのか。


「民意」を偽装する小選挙区制

 小選挙区比例代表並立制が採用されて以来、この国の選挙制度は「民意」を歪める装置として、また作り出す装置として働いてきた。現行の選挙制度の元で行われる選挙結果は、少数派の意思が圧縮され、多数派の意思が増幅されたものでしかない。

 なぜ現行の小選挙区制は、有権者の意思を反映しないのか。それは一つの選挙区で一人しか当選者のいない、「勝者総取り」の小選挙区を中心にしているからだ。

 小選挙区では、二位以下がどんなに票を集めていても、選ばれるのは一人の勝者であり、その他の候補への投票は、死に票となって有権者の意思は大きく切り捨てられる。得票率が過半数に満たない候補が、選ばれることも起こる。その場合、過半数の「民意」がその勝者を選ばなかったにもかかわらず、無視されることになる。

 このような特質のため、「勝つ」候補が票を集める傾向にある一方で、「勝てない」候補への投票は避けられる。政策的には他の候補を支持しているのに、「勝てない」という理由で「勝つ」候補に投票する有権者も現れる。有権者の「民意」はねじ曲げられる。

 小選挙区制は、有権者の「民意」を偽装する。

 小選挙区の弊害を補い「民意を反映」するのは、比例区だとされてきた。得票数に応じて議席が配分される比例区は、小選挙区に比べて「民意を反映」している。だが民主党案によれば、その比例区を一挙に80議席も削減するという。つまり単純小選挙区へ近づくということだ。そうなれば小選挙区の弊害は増幅される。


鳩山代表は細川内閣の官房副長官

 小選挙区制が導入された当時、政府は「民意の反映は比例代表制で補う」と答弁していた。逆に言えば小選挙区は「民意を反映」しないと認めていたのだ。その細川内閣で内閣官房副長官を務めていたのが、鳩山由紀夫である。

……政府は「民意の反映は、比例代表制で補う」と答弁した。小選挙区制に対する「民意を反映しない」という批判を否定できずに、かろうじて比例代表制を加味することで、議会制民主主義を担保できるというものであった。

引用元:http://www.jlaf.jp/iken/99/iken_990500.html

 その鳩山が代表を務める民主党が、今度は「ムダづかい」と称して衆院比例区を狙い打ちするのは、欺瞞である。鳩山は比例区削減が「民意」を切り捨てることであると理解しているはずだ。「国会議員も身を削る」等と言われているが、実際に削られるのは、国民の「民意」であり、選挙権の効果であり、意見の多様性であり、少数野党の議席である。民主党は痛まないどころか、議席占有率を高めることが出来る。

議員数の削減は改革詐欺

 民主党のマニフェストを見ると、「天下りのあっせんの全面的禁止」や「国家公務員の人件費削減」等と並んで、「衆議院の比例代表定数の80削減」が「ムダづかいをなくすための政策」、「行財政改革」とされている。これを読んだ人には「国会議員の数は多すぎる、しかもその維持に相当のお金がかかっている」といった予断が植え付けられることだろう。はっきり言って詐欺である。

 上で述べたように、1) 比例区は「民意の反映」の為の存在であり無駄ではない。2) 日本は海外と比べると、国民の数に比べて国会議員の数が多いとは言えない。国民の多様な意見を国会に届けるためには、議員はもっと多い方がいい。3) 議員を削減することで得られる予算はそれほど多くない。「土佐高知の雑記帳」の試算によると、議員を80人減らすことで浮くのは年額44億円に過ぎない。「上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場」の試算でも、「議員定数80を削減した場合の公金削減分」は、約54億1853万円に過ぎない。

 それでも約50億円という数字は多いと感じる人がいるかもしれないが、引用した二つのブログも指摘しているように、政党助成金は年額約320億円と文字通り桁違いだ。国会議員にかかる費用は、有権者の意志を国会に届け、民主主義を実現するためのコストであり、「ムダづかい」ではない。

 国会議員が何のためにいるのかを考えよう。国会議員は主権者である国民の代表者だ。それを減らすことは国民の権利を踏みにじることを意味する。

本当のオルタナティブがなくなる

 自民党と民主党がともに議員定数の削減を目指していることは、この二つの党が制度的に二大政党制を完成させ、少数政党を排除しようという共通目標を持ったとみなせる。これはまず両党にとって都合の良いルール作りを進めて、どうするのかは後に持ち越そうという、手続き面での暗黙の合意であるのかもしれない。実現すれば両党が基本的に一致する政策が、なし崩し的に進められる可能性がある。

 改憲や海外派兵に反対することが難しくなるだろう。財界の支配にメスを入れることが難しくなるだろう。大企業・富裕層からの再分配が難しくなるだろう。消費税増税に反対することが難しくなるだろう。特に危惧せざるを得ないのは、将来の憲法改正を見据えつつ、改憲派で議席を確保したいという狙いが透けて見える点だ。議席数は憲法改正の発議は勿論、改憲手続き法(国民投票法)の規定にも直結する。

 「政権交代」が最優先視されるこの衆院選において、改憲や消費税は大きな争点とはなっていない。にもかかわらず、ここで予め未来を方向付けるようなことを決めて良いのか大いに疑問だ。まず大政党に有利な「民意」は増幅し、そうでない「民意」は縮小するルール作りをしよう、という姿勢は間違っている。


国民は二大政党制を望んでいるか

 そもそも国民は二大政党制を望んでいるのだろうか。朝日新聞の調査では、「自民と民主の二大政党以外の政党にも勢力を伸ばしてほしい」と思う人が54%と過半数いる。去年のデータながら、読売新聞の調査では、自民党・民主党の両党に不満を感じる人がそれぞれ8割いる。7月の読売の調査も同様の傾向を示している。

 国民は積極的には二大政党制を支持していない。にもかかわらす二大政党化が進んでいるのは、最初に述べたような小選挙区制のカラクリによる。


二大政党制は「偽装された民意」

 小選挙区制が導入された当初の目的は、リクルート事件などを受けて、腐敗した金権政治をただすことにあった。国民が二大政党制のレール作りを望んで、細川政権に高い支持を与えたとは思えない。だが今や政界・財界・マスメディアがスクラムを組んで二大政党制を既成事実化しようとし、国民が二大政党制を望んでいるかのように「民意」が偽装されている。

 民主党が次の衆院選で大勝すれば、「民意」の支持があったとして、衆院比例区の削減を躊躇しないだろう。そうなれば自民党に比べて「リベラル」な政権が誕生しつつ、社共は排除されて、政治全体としては大きく右寄りになる。

 問題となるのは、今の民主党が隠している改憲や海外派兵、消費税増といった志向性だ。「政治改革」の名の下に小選挙区制を導入した細川政権のように、自民ですらやれなかったことを非自民政権がやる、という逆説が繰り返されるかもしれない。そして議員定数の削減は、そのための布石となる。

 この政治状況下で本当のオルタナティブとなるのは、社民党や共産党だ。しかし今度発表されたマニフェストは、そうした選択肢を選ぶ権利すら国民から奪おうとしている。



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by sea_of_sound_2008 | 2009-08-17 23:58 | 政治
 日本の戦後政治史を俯瞰すると、改憲に必要な3分の2以上の議席確保を目的として、保守派から小選挙区制が度々持ち出されて来たことがわかる。また小選挙区制は、二大政党制の形成による少数派の排除の道具でもあった。資料を元に、改憲と小選挙区制そして二大政党制の戦後政治史を少しばかり描き出してみたい。


1947年 / 小選挙区制と二大政党制が理想
 国民主権となって初めての総選挙が行われる。この時選挙制度は、46年の大選挙区制限連記制から、42年以前の中選挙区単記制に復帰した。この選挙法の改正における保守派の狙いは、連記制では共産党と女性が伸びると見て、それらを排除することにあった。後に保守合同の立て役者となる三木武吉は、46年の総選挙で社会党と共産党が伸びたのを見て、保守各派を連合しないと「日本は大変なことだ」と思ったという。

 植原悦二郎内相は、記者会見で「二大政党主義による政党政治の安定確立という建前により、小選挙区単記制がもっとも理想的だと思う。小党分立は民主主義の発展を阻害する。しかしこのような一足とびの態勢は直ちに[は]困難だから、まずは中選挙区単記制をとりたい」と述べていた。当時から、保守派の中に小選挙区制と二大政党制を理想とする意見があったことがわかる。

1955-1956年 / 鳩山一郎の改憲策動とその挫折
 鳩山一郎・岸信介らの民主党が憲法改正による自衛軍の創設を掲げ、分裂していた左右両派の社会党が平和憲法擁護を統一決議とするという対決的な政治状況の下で、55年2月に総選挙が行われる。選挙結果は民主党が第一党になったものの、左派社会党も議席を伸ばし、保守全体では改憲に必要な議席を獲得できなかった。

 10月には左右両派の社会党が統一大会を開いて統一し、その一ヶ月後の11月には自由党と民主党の保守合同により、自由民主党が結成される。55年体制の始まりである。保守合同の背景には、熱狂的な反共主義者だった三木武吉の仲介、左派社会党の躍進に危機感を強めた経団連・日経連・経済同友会・日本商工会議所といった財界の介在があった。

 合同を目指した第一回の政策委員会の席上で強調されたのは、「このままの政治の推移では容共社会党の天下」となるという露骨な反共主義だった。これが保守合同の本音であったが、保守政治家たちは表向きには、「二大政党論」や「政局安定」といった言葉で粉飾していた。また、自由党の側から合同を主導した緒方竹虎は、CIAの協力者だった。

 翌56年、鳩山内閣は、今度は選挙制度を変えることで改憲を謀るべく、小選挙区制法案を国会に提出する。この法案は、選挙区の区割りが自民党の現職、特に鳩山派である旧民主党系に有利なように線引きされた不平等なものだった。「ハトマンダー」と呼ばれたこの悪名高い区割りは、野党と世論のみならず、与党内部からも強い非難を浴び、結局廃案となる。これらの挫折の後、鳩山は改憲を諦めざるを得なくなる。

1960年 / 岸信介の改憲構想と60年安保
 岸信介内閣が5月19日の夜に、500人の警官隊を衆院に入れ、安保改定を強行採決したことによって、その強権ぶりが国民的な反発を招き、空前の盛り上がりを見せた60年安保闘争が起こる。岸は安保改定をテコにして小選挙区制を導入し、改憲へ向けた体制を整える構想を持っていた。

 岸はかつて二大政党制による「共産主義に対抗しうる『強力な安定政権』の確立」を望み、保守合同を推進していた。鳩山内閣では幹事長として小選挙区制の導入を計り、前述のように挫折していた。しかし、岸は小選挙区制と改憲を諦めていなかった。

 岸内閣の佐藤栄作蔵相は、58年にマッカーサー米駐日大使に合い、「共産主義と戦うために」自民党への資金援助を要請していた。50年代から60年代にかけて、CIAは数百万ドルの資金を自民党に提供していた。

 安保条約は自然承認されたが、激しい反対の声に押されて、岸は辞任せざるを得なくなり、その試みは瓦解する。

1972-1973年 / 自民党永久支配を目指した田中角栄
 田中角栄は、72年7月に内閣を発足して高い支持率を記録、9月には日中国交正常化を成し遂げる。しかし、その余勢を駆って行われた12月の衆院総選挙の結果は、振るわなかった。自民党は議席を減らす一方、社会党が議席を大きく回復、共産党は三倍近い伸びを見せた。

 自民党一党独裁の危機を感じ取った田中は、選挙制度を変えることで、支配を盤石なものにしようとした。田中内閣は73年4月から5月にかけて、衆議院の選挙制度を小選挙区並立制に変える法案を、国会に提出しようと試みる。

 自民党に極めて有利なこの法案は、野党は勿論、新聞からも大反対に遭い、挙げ句の果ては党内からも異論が噴出して、国会提出を諦めざるを得なくなる。

1989-1991年 / 「政治改革」と小選挙区制の結合
 リクルート事件が自民党を大きく動揺させる中、89年4月に竹下首相が、リクルート社から巨額の金銭を得ていたことが明るみに出て退陣する。5月には、政治腐敗をただすとの目的で自民党が設置していた政治改革委員会が、「政治改革大綱」を発表する。そこには小選挙区比例代表並立制を意味する提案が書き込まれていた。

 6月には、宇野内閣によって第八次選挙制度審議会が発足される。この審議会にはマスメディア関係者が多数含まれていた。これまで小選挙区制が導入されようとした際に、大新聞がこぞって反対して来た経緯を考慮したものだった。

 翌90年に、同審議会は海部内閣に対して小選挙区制導入を答申する。これには野党のみならず、党勢を回復していた自民党内部からも反対の声が挙がる。しかし、海部はリクルート事件で地に落ちた派閥の領袖たちの復権を阻止し、自分の内閣を継続させる目的で、「政治改革」の実現を目指した。

 91年に、選挙制度を小選挙区制へ変える法案が、国会に提出される。衆院に政治改革特別委員会が設けられ、法案が審議されたが、与野党の反対が強いと判断した委員長によって廃案となる。

1994年 / 細川内閣が小選挙区制を導入
 「政治改革」を旨とする細川内閣により、小選挙区比例代表並立制が導入される。法案は社会党の一部を始めとする強硬な反対派により、参院で否決されるが、細川と自民党総裁河野洋平のトップ会談で修正合意されることで決着した。マスメディアはこの「政治改革」を肯定的に捉えて、その内容まで踏み込んだ議論をしなかった。

 この内閣のキーバーソンであった小沢一郎は、前年に『日本改造計画』を出版して話題となっていた。この本の中では少選挙区制の導入や改憲が主張されていた。また同書では「強力なリーダーシップ」の必要性が説かれているのだが、これは小沢にとって多数派が少数派の意見を積極的に無視することを意味した。

 政権党が両院で過半数を得て法案を成立させるために一部の野党に譲歩、妥協したものを、さらに譲歩せよというわけである。……過半数が賛成している案を、少数のダダッ子がいて、その子をなだめるために、いいなりになってすべて変えてしまう。……少数者の横暴のため多数者の意志が通らなくなる。

小沢一郎『日本改造計画』講談社、1993年、24頁

 こうやって眺めると、50年代から60年代には明示的に改憲と結びついていた小選挙区制が、リクルート事件を機に、今度は「政治改革」という新たな衣を纏うことによって、それまで反対していたマスメディアを取り込みつつ、受け入れられていった過程がわかる。その試みが遂に成功したのが、94年の細川内閣においてであった。

 そして改憲手続き法(国民投票法)の成立を見た今、自民・民主の両党が揃ってマニフェストに議員定数の削減を盛り込んだことは、再び改憲志向の選挙制度改革が甦って来たように思われる。自民党は「自主憲法の制定」をマニフェストに書き込み、民主党の鳩山由紀夫代表は筋金入りの改憲論者である。

 特に民主党の定数削減案は、比例のみを削減すると明言しており、実現すれば単純小選挙区に近づくという危険性を持つ。そうなれば、改憲派が国会で多数を占めることが容易になり、本当のオルタナティブは消えてしまうだろう。


    [参照文献]
  • 後藤基夫・内田健三・石川真澄『戦後保守政治の軌跡』岩波書店
  • 石川真澄『戦後政治史 新版』岩波新書
  • 冨森叡児『戦後保守党史』岩波現代文庫
  • 原彬久『岸信介』岩波新書
  • 小熊英二『1968(上)』新曜社
  • 小沢一郎『日本改造計画』講談社
  • 山口二郎『日本政治の課題』岩波新書
  • 山口二郎『戦後政治の崩壊』岩波新書

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by sea_of_sound_2008 | 2009-08-17 23:27 | 政治