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by sea_of_sound_2008
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ショーペンハウアーの言葉「誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである」

 随分昔に次のショーペンハウアーの言葉に出会って以来、愛国主義というものが何であるのかについて確信を持っている。この文章は歴史修正主義やレイシズムが跋扈する現在の日本(それは「ネット右翼」だけの狭い問題ではない)を前にしても、本質的な洞察を見せている。
 これに反して誇りのなかでも最も安っぽいのは民族的な誇りである。なぜかと言うに、民族的な誇りのこびりついた人間には誇るに足る個人としての特性が不足しているのだということが、問わず語りに暴露されているからである。

 すなわち個人としての特性が不足していなければ、何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがないからである。立派な個人的長所を具えた人は、自国民の欠点を常日ごろ見せつけられているのだから、この欠点をこそ最もよく認識するわけであろう。

 ところが何一つ誇りとすべきもののない憐れむべき愚者は、たまたま自分の属する民族を誇りとするという最後の手段を命の綱と頼むのである。これによって息を吹き返し、随喜感激して、自国民に具わる欠点や愚かさを何から何まで力のかぎり根かぎり弁護しようとする。

*ショーペンハウアー『幸福について』より引用。見易さのために適時改行。

 ショーペンハウアーはまた、「アレクサンダー大王は、名と追憶とが残っている。ところがプラトーンやアリストテレース、ホメーロスやホラーティウスは、今でも本人が現存し、直接に生きて働いているのである」とも言っている。

 現在まで続くある特殊な極右的思潮の源流は1990年代後半にある。「民族的な誇り」を根拠にするそれらは、19世紀に書かれたショーペンハウアーの鋭い言葉によって、生まれる以前に既に刺し殺されているし、これからも刺し殺され続けるだろう。
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by sea_of_sound_2008 | 2010-06-03 12:14 | 雑記