琉球新報「同胞である鳩山氏の意思を無視することができますね」は誤訳ではないか (雑記)
2010年 05月 31日
「The U.S. Air Base on Okinawa」と題された下地良男さんの The New York Times への投書の存在を、最初に報道したのは琉球新報だと思います。この投書の最後の一文「How dare Mr. Obama ask Mr. Hatoyama to act without regard to the wishes of his compatriots? 」を、同紙は記事中で「よくもオバマ氏は、同胞である鳩山氏の意思を無視することができますね」と訳しています。
私はこれは誤訳ではないかと思うのです。ところでなぜ、私がこの文章をですます調で書いているかというと、この指摘に自信がないからです。このブログの読者には、そうした事情を考慮しながらこのエントリを読んで欲しいのです。それでは原文と比較しながら、この琉球新報の訳の正当性を検討します。
まず、全体を見て気付くのは、「ask」という動詞が全く訳文に登場していないことです。「ask one to ~」で「誰々に~するよう要求する」といった意味になりますから、この一文は取り敢えず大ざっぱに「オバマ大統領が鳩山首相に何かをするように要求する」と捉えることができます。
そのオバマ大統領が要求している「何か」とは何でしょうか。「act without regard (無視して行動すること)」でしょう。では、無視されるのは何か。「the wishes of his compatriots」です。この「act without regard to the wishes of his compatriots」という箇所を、部品に分けつつ順番に取り上げていきましょう。
先に「the wishes」に注目すると、琉球新報はこれを「(鳩山氏の)意志」と訳しています。しかしこの部分は複数形です。複数形なのは「the wishes」が沖縄県民のそれであるから、つまり「沖縄県民の願い」であるからではないでしょうか。鳩山氏のものであるとすれば、複数形であることの説明が付きません。
しかも「願い(wishes)」には「the」という定冠詞がついているのです。これを「オバマに屈服こそしたが、当初は鳩山首相が持っていた願いのこと」と解釈するのは、無理があるような気がします。この投書は全体的として、沖縄県民の思いを伝えるものですから、直前の「沖縄人の圧倒的多数は(The overwhelming majority of Okinawans )…」という文から考えても、「沖縄県民の願い」と訳す方が自然でしょう。
次に、最後の単語である「compatriots」に目を移しましょう。この単語の意味は「同国人」です。たぶん語源からしても「仲間」とか「主義主張を同じくする人」程度では使いません。日本が果たして「西側」に属しているのか、自由主義国家なのか、民主主義国家なのか、という疑問もありますが(アメリカは本当に民主主義国家なのかというより強力な疑いもありますが)、とりあえずそれは脇に置いておきましょう。
ちなみに日本語の「同胞」はまさに「同国人」という意味ですから、「compatriots」の訳語としては適切です。しかし「compatriots」の持つ意味からすれば、「同胞である鳩山氏」というのは明らかにおかしいのではないでしょうか。それに、この単語は「compatriots」と複数形になってますね。つまり、「compatriots」とは沖縄県民のことを指していると考えられます。鳩山首相という個人を複数形では呼ばないでしょう。
ひょっとして「同胞である鳩山氏」という表現は、「沖縄県民にとっての同胞である鳩山氏」という意味なのかもしれません。しかし、その部分の原文は「his compatriots」なのです。「his」が沖縄県民であることはありえませんから、オバマ大統領か鳩山首相を指すしかないのですが、前段で述べた二つの理由から、これは鳩山首相のことだとわかります。
したがって「act without regard to the wishes of his compatriots」とは、「彼の同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動すること」になると思います。最初に大まかに訳しておいた前半と合わせるならば、「オバマ大統領が鳩山首相に同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動するように要求する」となります。
文章を整えつつ全てを訳すならば、「よくもオバマ大統領は、鳩山首相に彼の同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動するように、要求することができますね」です。鳩山首相に有権者の願いを裏切るように求めることは、アメリカの至上の価値である民主主義というイデオロギーに反してるのではないか、と言っているわけです。
さて、「よくもオバマ氏は、同胞である鳩山氏の意思を無視することができますね」という訳が、誤訳であるという私の指摘が当たっているかどうかわかりません。しかし琉球新報の訳と私の訳で、この部分の文面が違っていることの説明にはなるのではないでしょうか。
How dare Mr. Obama ask Mr. Hatoyama to act without regard to the wishes of his compatriots?
よくもオバマ氏は、同胞である鳩山氏の意思を無視することができますね
私はこれは誤訳ではないかと思うのです。ところでなぜ、私がこの文章をですます調で書いているかというと、この指摘に自信がないからです。このブログの読者には、そうした事情を考慮しながらこのエントリを読んで欲しいのです。それでは原文と比較しながら、この琉球新報の訳の正当性を検討します。
まず、全体を見て気付くのは、「ask」という動詞が全く訳文に登場していないことです。「ask one to ~」で「誰々に~するよう要求する」といった意味になりますから、この一文は取り敢えず大ざっぱに「オバマ大統領が鳩山首相に何かをするように要求する」と捉えることができます。
そのオバマ大統領が要求している「何か」とは何でしょうか。「act without regard (無視して行動すること)」でしょう。では、無視されるのは何か。「the wishes of his compatriots」です。この「act without regard to the wishes of his compatriots」という箇所を、部品に分けつつ順番に取り上げていきましょう。
先に「the wishes」に注目すると、琉球新報はこれを「(鳩山氏の)意志」と訳しています。しかしこの部分は複数形です。複数形なのは「the wishes」が沖縄県民のそれであるから、つまり「沖縄県民の願い」であるからではないでしょうか。鳩山氏のものであるとすれば、複数形であることの説明が付きません。
しかも「願い(wishes)」には「the」という定冠詞がついているのです。これを「オバマに屈服こそしたが、当初は鳩山首相が持っていた願いのこと」と解釈するのは、無理があるような気がします。この投書は全体的として、沖縄県民の思いを伝えるものですから、直前の「沖縄人の圧倒的多数は(The overwhelming majority of Okinawans )…」という文から考えても、「沖縄県民の願い」と訳す方が自然でしょう。
次に、最後の単語である「compatriots」に目を移しましょう。この単語の意味は「同国人」です。たぶん語源からしても「仲間」とか「主義主張を同じくする人」程度では使いません。日本が果たして「西側」に属しているのか、自由主義国家なのか、民主主義国家なのか、という疑問もありますが(アメリカは本当に民主主義国家なのかというより強力な疑いもありますが)、とりあえずそれは脇に置いておきましょう。
ちなみに日本語の「同胞」はまさに「同国人」という意味ですから、「compatriots」の訳語としては適切です。しかし「compatriots」の持つ意味からすれば、「同胞である鳩山氏」というのは明らかにおかしいのではないでしょうか。それに、この単語は「compatriots」と複数形になってますね。つまり、「compatriots」とは沖縄県民のことを指していると考えられます。鳩山首相という個人を複数形では呼ばないでしょう。
ひょっとして「同胞である鳩山氏」という表現は、「沖縄県民にとっての同胞である鳩山氏」という意味なのかもしれません。しかし、その部分の原文は「his compatriots」なのです。「his」が沖縄県民であることはありえませんから、オバマ大統領か鳩山首相を指すしかないのですが、前段で述べた二つの理由から、これは鳩山首相のことだとわかります。
したがって「act without regard to the wishes of his compatriots」とは、「彼の同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動すること」になると思います。最初に大まかに訳しておいた前半と合わせるならば、「オバマ大統領が鳩山首相に同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動するように要求する」となります。
文章を整えつつ全てを訳すならば、「よくもオバマ大統領は、鳩山首相に彼の同国人(沖縄県民)の願いを無視して行動するように、要求することができますね」です。鳩山首相に有権者の願いを裏切るように求めることは、アメリカの至上の価値である民主主義というイデオロギーに反してるのではないか、と言っているわけです。
さて、「よくもオバマ氏は、同胞である鳩山氏の意思を無視することができますね」という訳が、誤訳であるという私の指摘が当たっているかどうかわかりません。しかし琉球新報の訳と私の訳で、この部分の文面が違っていることの説明にはなるのではないでしょうか。
by sea_of_sound_2008
| 2010-05-31 19:52
| 雑記